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2013.04.25

陵墓と機密の一日

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4月24日(水)くもりときどき雨

 午前2時30分、起床。それを徹夜というのだ、はあたらない。

 寝かしつけのまま、昨午後10時ごろ寝ていた。4時間以上は寝ている。

 事務作業と講義など予習。某拙著(幕末史)にふれる間なし。

 午前8時50分、京都女子大学(歴史地理学)に出講。鳥辺野を中心とした陵墓論を展開。後白河陵まで持って行き、次回は法住寺殿へ。「よいもって行き方」と自己満足。

 講義終了後、校舎で梅田千尋博士とばったり。「東京からこの講義のために来ておられるのですか」と尋ねる。梅田博士は東京大学史料編纂所特任准教授だったはずだから。

 すると本年から本学の専任になられたとうかがう(文学部准教授)。知らなかった。最近の住所をお伝えしてなかったから。おめでとうございます。

 午後1時から、よみうり文化センター京都教室に出講。「平安京・京都の歴史をまなぶ」。仁明天皇朝と藤原良房兄弟姉妹の話。

 仁明天皇の女御である藤原順子(のぶこ、良房の姉妹、文徳天皇生母)を主人公に安祥寺をとりあげ、その下寺の復元・その陵墓の位置の解明へもっていく。

『皇太后の山寺』(柳原書店)などにおける吉川真司博士や山田邦和博士など、および洛東高校(山科区)の「地歴甲子園」における成果(島田雄介教諭指導)を活用させていただく。

 安祥寺が洛東宇治郡(山科醍醐地区)にいかに重要な存在かをのべたつもり。そのカギがそれを開いた藤原順子だというわけ。

 JR二条駅そばでみつかった平安時代前期の邸宅跡は、藤原良相(よしみ)の西三条邸である。良相は良房の兄弟である。あの先駆的な「ひらがな」を多数墨書した土器が出たことで大きくメディアに紹介された遺跡である。

 そこで「西三条院」と記した墨書土器も出たため確定できたのだが、「亭」などではなく「院」とあったのは皇族の居所であった証拠。

 西三条邸には皇太后藤原順子が行幸し滞在している。そのゆえの「西三条院」だろう。つまりあの遺跡も藤原順子がらみ。そんなお話しをする。

 ちなみに藤原順子や良房のもうひとの兄弟良門の子が高藤(つまり甥)で、その妻の実家が勧修寺となり、孫醍醐天皇が醍醐寺を勅願とする。山科盆地の北部・南部の有力寺院は、すべてこの順子とその周辺から生まれるわけだ。そんなおもしろさ。旧山科郷に住んでいる僕ゆえの視点。

 次回巡検は、仁明天皇陵やその陵寺、嘉祥寺(伏見区深草)にしたのだが、藤原順子陵や安祥寺など(山科区安朱)の方がよかったなと反省。でもいつか行きましょう。

 受講者有志とJR京都駅ビルの「孫兵衛」で少し懇親。

 そのあとコーヒー店で某拙著(幕末史)の執筆。うとうとしつつも健闘。

 午後7時から某研究会・某講演会・某図書出版の会議に出席。N博士、Y博士と。

 本日は寝かしつけに間に合わず。

「某」が多いな。機密なのだ。

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