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2013.03.25

真木和泉を追撃したのち、東下

 元治甲子戦争における真木和泉を追って、会津・新選組を歩く・その1終わる。

 禁裏御所・凝華洞(御花畑)から寺町御門をへて寺町を南下。某所で橋を渡り、東洞院通を南下。御土居藪に達し、終了。

 凝華洞の由緒と、渡橋場所の解明が本日最大の成果。

 とにかくごっついおもろかった。火の手が上がった本能寺、七条新地などを横目で見つつ、戦火を避け早々に都市民が不在になったため、食料が得られずひもじい思いをした会津・新選組を体感出来た

 なお天王山へ向かう会津一番部下のルートは、「一番部下始末大略」なる史料に拠った(このルートと新選組や山本覚馬ら大砲方が同一かは不明)。当史料は、菊地明氏『京都守護職日誌』二(新人物往来社)に所収されている。

 価値の高い史料だと思うが、性格はもとより所蔵地さえ不明。

 そのあと、知野文哉さん『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)の内々の祝賀会に参加するため東下した(於有楽町)。もうひとつあるんだが、まだ言えない。参加者が僕的に贅沢だった。

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