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2013.02.14

【要望書】聚楽城本丸跡、南辺石垣遺構の保存と活用に関する要望書

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 今朝、「聚楽城本丸跡、南辺石垣遺構の保存と活用に関する要望書」を、西陣歴史の町協議会(京都百人一首・かるた研究会、じゅらくだい倶楽部、特定非営利活動法人平安京、紫式部通り会)、特定非営利活動法人京都歴史地理同考会の連名で、京都府知事、同教育長、府警本部長宛に提出いたしました。以下です。

2013年(平成25)2月14日

京都府知事 山田啓二殿

京都府教育長 田原博明殿

京都府警本部長 安田貴彦殿

聚楽城本丸跡、南辺石垣遺構の保存と活用に関する要望書

京都市上京区に豊臣秀吉の権力の中心地があった!

豊臣秀吉といえば、本拠は大坂城だと思い込んでおりました。ところが近年著しい展開をとげている京都史研究の成果によれば、豊臣期の「武家の首都」といえるのは、実は京都と伏見だった、その本拠が聚楽城(聚楽第)と伏見城だったと知らされ、つよい衝撃を受けました。

そういえば秀吉は征夷大将軍ではなく関白に任官したのでした。本拠は京都だといわれれば、たしかに納得がいきます。

しかも「武家の首都」といえるのは、たんに秀吉の城郭があったためだけではありません。徳川家康や前田利家、上杉景勝など全国の有力大名が妻子をおく邸宅を営んだからです。全国の有力大名の自宅がある!ここは全く日本の中心地だったのです。

これを知り、京都市上京区などで日常生活を送る我々は、ぜひこのことを地域住民や観光客に知ってもらいたく、聚楽城・大名屋敷跡に石碑を建て、現地見学会を行うなど、さまざまな活動でアピールしてまいりました。

そんななかの昨年末、()京都府埋蔵文化財調査研究センターによる発掘調査成果により、聚楽城本丸跡の石垣が32メートルにわたって確認されました。調査成果を伝える現地説明会には、2,300人もの府民などが参加されました。これは同センターの過去の同説明会の最高動員数を記録したものと聞きました。実に多くの方が聚楽城とその遺跡に関心をお持ちだとわかりました。地域の歴史啓発のため、この遺構はぜひとも常時公開していただきたいと願いました。

ところがうかがったところでは、遺構は埋め戻され、その上には建物が建てられるそうですね。これではかりに「保存」されたとしても住民や観光客にその意義を伝える力にはほとんどなりません。遺跡は数十年にわたって「封印」され、近い将来の活用を考えることさえ無意味になります。

ふりかえってみれば、過去にも(1991年)京都西陣公共職業安定所で、おなじく聚楽城の東堀の遺構が検出されながら、常時公開の措置がとられることなく建物が建てられました。現在一般にはそんな事実も忘れられてしまっています。今回もそのようになることをたいへん恐れます。

どうか地域のため、今回見つかった聚楽城本丸跡南辺石垣の遺構は、ぜひとも常時公開できるような措置をお取りいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

西陣歴史の町協議会

(京都百人一首・かるた研究会

じゅらくだい倶楽部

特定非営利活動法人平安京

紫式部通り会)

特定非営利活動法人京都歴史地理同考会

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