新選組はなぜ壬生寺で「迷惑」行為をしたか
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去る9月1日(土)、栄中日文化センター(名古屋市中区)の新選組講座があった。
今回強く指摘したのは、第二次行軍録による新選組の大・小銃隊の存在である。
小島政孝さんによれば、大銃隊は大砲隊なのだそうだ。たしかに大砲は、西本願寺や壬生寺の境内の調練で使用している。新選組を剣客集団とのみ解するは誤りといえる。
壬生寺調練が知れる同寺蔵「恐れながら願い上げ奉る口 上覚え」で始まる文書。
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「迷惑仕候」の部分により新選組の無法ぶ りばかり注目されるが、調練開始時期が重要。慶応元年9月(18 65)である。
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第二次行軍録を載せた同月9日付、近藤老先生・宮川総兵 衛・柳町御内君宛土方歳三書翰が書かれる直前。長州再征に出兵目前なのだ。 無法行為とだけ捉えては大事なものを見落とす。
行軍録も長州再征を想定している。むしろ実戦前なのに、安政3年(1856)~4年の公議のように、京都近郊の山城国宇治郡御陵村や久世河原(久世郡)など平野を使用できず、寺院境内で甘んじなければならない彼らの不自由さを考えてやるべき。
本講座は新選組を幕末史のになかに位置づける試みで、もう10月から4期に入る。
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