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2012.09.28

以仁王終焉地に行った

9月27日(木)はれ

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 京都新聞文化センターの講座で、以仁王戦死の地にいく。木津川市綺田(旧相楽郡山城町)の同地にいま宮内庁治定の以仁王墓がある。入り口に三宅安兵衛遺志碑も建つ。

「平家物語」などに光明山の鳥居前で討たれたとあるのがその根拠。

 この地の「鳥居」地名が根拠になったのだろう。江戸時代に以仁王の堂がつくられていた。都名所図会や山州名跡志などによりわかる。そこに墳墓があるとは記載がない。最後の地だとあるのみ。これを旧宮内省が墓に定めたわけだ。

 光明山とは平安時代に創建された光明山寺のことで、今回はその寺跡に行くことにした。急な登山で受講者は辟易だったかも知れないが、達成感はあったと思う。過去に数度発掘調査が行われ、京都府の遺跡地図に認定されている。大きな寺院であった。

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