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2012.07.01

禁野本町遺跡に憤慨(枚方市)

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 去る6月27日(水)午後、よみうり文化センター京都教室の巡検で、大阪府枚方市に行った。桓武朝を支えた百済王(くだらのこにき/くだらおう)氏の本拠を訪ねるため。

 百済王氏は桓武天皇に「朕が外戚なり」(『続日本紀』延暦9年2月27日条<790年>)といわしめた一族。

 百済寺跡はすでに特別史蹟に指定されている(1952年)。その地は公園化している(1970年)。

 いまとなっては信じがたいことだが、日本初の史蹟公園である。

 その輝かしい位置に反して、現地は見にくい。ほとんど公園化当時のまま放置されている。前回京都府向日市の長岡宮跡の複数の史蹟公園をあるいたから、受講者にも新旧の差が歴然とわかる。

 再整備すべき時期に来ていると認識されて久しい(『図説日本の史跡』5、127ページ、同朋舎、1991年、堀江門也氏執筆)。

 そののち北上し、禁野本町遺跡に行く。1986年以来、集合住宅や市民病院の建設などで大規模な発掘調査を継続している。

 その結果、奈良末から平安前期、百済寺跡とセットで碁盤目状の都市的な整備をしていたことが明らかになった。建物遺構も二ケタ検出されている。百済王氏の邸宅跡である可能性大である。

 ところがそれがまったく(おそらくまったく)保存措置はなされず、破壊し放題

 桓武朝を検討するうえできわめて重要な遺跡ではないか。百済寺跡とセットで特別史蹟に追加指定すべきものだ。地域をあげての啓発活動もほとんど聞かない。研究者からも。これでいいのか、いいわけがない

 せめて石碑や表示板を探したがみつからない。

 やっと市民病院敷地で見つけた。それが掲示写真。遺跡の範囲を示す地図はない、出土品の写真もない、ただひたすら文章があるだけ。いつの時代の保存施設だ。おどろいた一昨年の建設じゃないか。

 この解説板ではじめて遺跡の存在にふれる一般に、その意義深さなどほとんどわからないはず。

 何にもないよりましではないぞ。

 暗い気持ちになった。枚方市なさけない。

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