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2012.07.30

【講座】坂本龍馬の歴史地理

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坂本龍馬の歴史地理―その居所をさぐる

第8回 龍馬、長州にて徳川軍と戦う―慶応2年6月(1866年)

日時:2012年8月5日(日)午後2時10分~3時20分

会場:キャンパスプラザ京都・5階第3・4演習室

講師:中村武生

受講料:1回1,000円(予約不要。会場でお支払いください)

主催:中村武生歴史地理研究室

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2012.07.29

橋本楯夫さんから『城郭史研究』31号を賜った

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 橋本楯夫さんから以下の書籍を賜りました。

一、『城郭史研究』31号、日本城郭史学会(東京)、2011年、(橋本楯夫氏「御土居の現状」が掲載)

 橋本さんは大学生であられた1960年代なかば、御土居堀の保存を訴えられた方です。同書74ページにはそのころ(1966年)の御土居堀の写真が掲載され貴重です。記して御礼申し上げます。

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【講座】幕末会津と新選組

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 NHK文化センター京都教室で、本年10月より以下の講座を行います。まずはご紹介まで。

「八重の桜」の時代―幕末会津と新選組

来年のNHK大河ドラマは、同志社を創始した新島襄の妻八重(1845-1932)が主人公の「八重の桜」です。ドラマ前半の舞台地のひとつが、幕末京都です。八重は、会津松平家家臣山本家の娘でした。その兄覚馬は、京都守護職に任ぜられた当主松平容保(かたもり)のもとで、京都において他の大名家や公家と折衝する外交官でした。

松平容保は孝明天皇に信頼され、一橋慶喜や実弟で京都所司代の桑名侯松平定敬(さだあき)とともに「一会桑(いっかいそう)」とよばれる勢力を維持し、京都政局の中心にいました。ちなみにそれを支えた最強軍事力が新選組です。八重は兄覚馬を通して、いかに会津松平家が「正義」の活動をしていたか自負していたはずです。

幕末京都に会津があったことはよく知られていますが、薩摩や長州とくらべて、その実態はほとんど知られていません。新島八重を理解する前提として、幕末京都の会津の活躍を信用できる史料にもとづいて紹介したいと思います。

1.    会津侯松平容保、京都守護職就任(10月16日)

2.    会津軍、上洛す(11月20日)

3.    はじめての浪士逮捕―足利三代木像梟首事件(12月18日)

4.    浪士組の組織―新選組誕生へ(2013年1月15日)

5. 230年ぶりの将軍上洛を迎える―攘夷の指向(2月19日)

6.長州との対決―八月十八日の政変(3月19日)

原則、第3火曜日、午前10時~11時30分

講師:中村武生

お問い合わせ:NHK文化センター京都教室http://www.nhk-cul.co.jp/school/kyoto/

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【見学会】御土居堀跡をあるく

○御土居堀を考える市民講座・見学会のお知らせです。 

御土居堀跡をあるく

日時:2012年9月29日(土)午後1時 

○集合:阪急「西院」駅(京都市右京区)中央改札

○行き先:同所から御土居堀跡を南下ののち東行します 

講師:中村武生(京都女子大学文学部非常勤講師) 

受講料:11,000円(予約不要。集合場所でお支払いください) 

※雨天中止 

参考文献:中村武生『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)

主催:京都御土居堀研究会(中村武生歴史地理研究室気付)

※8月はありません。

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御土居際三条塵捨場に無縁墓地があった話

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 昨日の御土居堀跡をあるく。

 西大路御池駅からいったん北上し、京都地方気象台で行われている発掘調査現場を外から拝見し(巨大な堀が検出されている。外から眺められる)、南下する。

 市五郎神社では、管理者の北村多美子さんにお目にかかれた。たいへんご無沙汰していた。

 さらに南下。三条通にたっする。ここで元禄15年(1702)製作の御土居絵図(京都大学総合博物館蔵)を示し、三条口の土居の東際の南に「塵捨場」があったことを述べた。

 これは江戸中期の公儀がつくったデータブック「京都御役所向大概覚書」の「洛中塵捨場之事」という項目にも記載があり(上巻、清文堂出版、273ページ)、まちがいない。ほんらいならばこの史料を皆さんにも配布すべきだったが横着して示さなかった

 その際、受講者から死体も放置されたのかと聞かれたので、塵捨場は墓地ではないので死体は廃棄されませんと述べた。

 会はそのあと四条の屈曲部まで行き解散になったのだが、本日、上記につき気づいていないことを知ったので述べておく。

 参加者の「小大豆」さん(https://twitter.com/azdaiz)が、山崎達雄さん著『洛中塵捨場今昔』(臨川書店、1999年)にこの三条西土手(御土居のこと)の塵捨場の記載があることをツイッター上で述べられ、記載内容に矛盾があると指摘された。

 「三条西土手の塵捨場は、三条通の御土居の西側にあった無縁墓地を利用した」という部分である(同書、33ページ、8行目)。

 上述のように、三条西土手の塵捨場は、御土居の東際にあったのだから、移転したというのならともかく、「御土居の西側にあった無縁墓地を利用した」ということはありえない。

 単純な誤植かとも思われたが(東と書くべきところを西と誤ってしまった。恥ずかしながら僕もけっこうします)、「小大豆」さんが、出典不明なのでどこかおかしいのか分からないというようなことを述べられたので、調べてみることにした。

 すると意外なほどすぐ典拠と思われる史料を見つけた。

 『京都御役所向大概覚書』の「洛中塵捨場之事」の次の文書がそうだと思われた。「洛外五ヶ所無縁墓地之事」である(前掲、274ページ)。

 この記載内容を意訳すると、「西之藪土居外三条」を上がるところに、山之内村・西院村の両村の無縁墓地が1か所あります、(略)そのほかに「三条通土居之内塵捨場」に1ヶ所(無縁墓地が)ありますが、これは今後停止という感じか。

 これが元禄12年4月(1699)のことともある。

 つまり「三条西土手の塵捨場は、三条通の御土居の西側にあった無縁墓地を利用した」のではなく、三条西土手(御土居)東の際の塵捨場内に無縁墓地もあったが、三条西土手の外に山之内村・西院村両村の無縁墓地が存在する(つくったの意か?)ので、これは停止したということになろう。

 あっさり言ってしまうと、三条口土居の東きわの塵捨場にも無縁墓地はあったが、それは土居の外(西側)の無縁墓地成立とは直接関係はないということである。

 ただいかんと思ったのは昨日の質問とのからみである。

 僕は三条口土居の東きわの塵捨場に人骨はなかったと述べた。が、元禄12年4月(1699)以前にはここに無縁墓地があったのだから、当然人骨もあった。

 つまり昨日の答えは不適切だったと気づいたわけだ。不勉強ゆえのミスということでここで掲示しおわびいたします。

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2012.07.28

昨日の御土居堀講座

 昨日の「豊臣秀吉と御土居堀」の受講者は、結局194人と連絡がありました。高齢者が多いので予約されながらこられなかった方が50人ほどあったようです。

 それでも若い担当さんが、ご自身がかかわられたこれまでの会では一番多かったように思うといわれましたので、よかったかなと思いました。

 笑いも多くとれました。

 本日はそこでも告知した、御土居堀跡巡検です。あまり多くの方に来られては困るのですが、少しは増えてくださるとうれしいです。

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2012.07.26

あすの講演242名の予約

 明日、京都アスニーで「豊臣秀吉と御土居堀」という講演をいたすのですが、すでに242名の予約があるそうです。有料なのに。すごいことですね。

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2012.07.25

【見学会】御土居堀跡をあるく

○御土居堀を考える市民講座・見学会のお知らせです。

御土居堀跡をあるく

日時:2012年7月28日(土)午後1時

○集合:地下鉄東西線「西大路御池」駅(京都市中京区)改札

○行き先:同所から御土居堀跡を南下します

講師:中村武生(京都女子大学文学部非常勤講師)

受講料:11,000円(予約不要。集合場所でお支払いください)

※雨天中止

参考文献:中村武生『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)

主催:御土居堀研究会(中村武生歴史地理研究室内)

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2012.07.24

拙稿の載った『歴史読本』本日発売

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『歴史読本』(新人物往来社、東京、1090円<税込>)は本日発売です。

 特集「新選組、京都15大事件の謎」です。同誌8年ぶりの新選組特集です。

 拙稿「学術対象としての池田屋事件」も載っています。昨秋刊行の拙著『池田屋事件の研究』(講談社現代新書)でふれ漏らしたことも少し記しました。

 桐野作人さんや鶴巻孝雄さんのご論文も掲載です。ぜひご覧ください。

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2012.07.23

関東におります

 7月21日(土)、明治維新史学会例会報告で関東に下っております。そのまま在府しております。昨日は享保の象の旧蹟をあるいたつもりが、思い入れの深い方の葬儀場所だったと知り、本当に驚きました。1986年4月10日です。

 毎度恒例、月曜午前中の「都名所図会をあるく」は本日(7月23日)はありません。お間違いありませんように。

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2012.07.20

【見学】待賢門院藤原璋子陵など

                   記

天皇陵をあるく―「皇陵巡拝会」道標を求めて

第22回 待賢門院藤原璋子陵など

集合:本年8月1日(水)午後1時、JR山陰線「花園」駅改札

○同行:中村武生(歴史地理史学者・京都女子大学非常勤講師

○おおよそ3時まで(約2時間)。

○予約不要

○雨天中止

○参加費:千円

主催:中村武生歴史地理研究室

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2012.07.16

竹中友里代さんから玉稿を賜る

 竹中友里代さん(京都府立大特任助教)から、玉稿「石清水八幡宮門前町における摂社高良社と太鼓祭り」(『洛北史学』14号、2012年6月)を拝受した。

 同封のお便りにさぼっている仕事の督促があった。汗顔。21日過ぎたら、します。

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2012.07.07

玉著『「信長記」と信長・秀吉の時代』を恵贈いただく

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 桐野作人先生から、共同執筆された玉著『「信長記」と信長・秀吉の時代』(金子拓編、勉誠出版、2012年7月、3800円+税)を恵贈いただいた。

 誠にありがとうございます。

 信長の伝記「信長記」(いわゆる信長公記)の諸本の史料学的研究成果です。まだざっとですが、実に読み応えがあります。

 桐野先生の玉稿は「再考・桶狭間合戦―天理本・個人蔵本を中心に」です。

 桐野先生には失礼だが、まっさきに矢部健太郎氏「『大かうさまくんきのうち』の執筆目的と秀次事件」を拝読した。秀次(ひでつぎ)事件にたいへん関心があるから。

 矢部さんの秀次事件論は、過去にも拝読したことがある(山本博文ほか編『消された秀吉の真実-徳川史観を越えて』所収論文、柏書房、2011年)。

 今回も実に興味深かった。『大かうさまくんきのうち』は、成長した豊臣秀頼が秀次事件に関心をもち、太田牛一に真相執筆を依頼したものという説。うなってしまった。

 桐野先生、矢部さんをはじめ玉稿が盛りだくさんです。信長に関心のある方必携の書籍です。

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2012.07.06

山科、大雨

7月6日午後11時56分、山城国宇治郡山科郷、こわいほど大雨。警報は出ていない。

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2012.07.05

来週の中村武生とあるく会

「都名所図会」をあるく

第36回 城南宮付近

 本年7月9日() 午前10時、近鉄・地下鉄烏丸線「竹田」駅北改札

 ※伏見区竹田・中島・下鳥羽地区の旧蹟をめぐります。

○おおよそ12時まで(約2時間)

天皇陵をあるく―「皇陵巡拝会」道標を求めて

第21回 江戸時代の皇族墓

 本年7月11日(水)午後1時、地下鉄烏丸線「今出川」駅南改札

 ※江戸時代の皇族は、相国寺や寺町寺院など洛中に墳墓を営むようになります。今回は「天皇陵」ではありませんが、けっこうな量の墓参をいたします。

○おおよそ3時まで(約2時間)。

いずれも、

○案内:中村武生(歴史地理史学者

○受講料:1回1,000円

○予約不要。集合場所でお支払いください

○雨天中止

○参加費:千円

主催:中村武生歴史地理研究室

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2012.07.01

禁野本町遺跡に憤慨(枚方市)

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 去る6月27日(水)午後、よみうり文化センター京都教室の巡検で、大阪府枚方市に行った。桓武朝を支えた百済王(くだらのこにき/くだらおう)氏の本拠を訪ねるため。

 百済王氏は桓武天皇に「朕が外戚なり」(『続日本紀』延暦9年2月27日条<790年>)といわしめた一族。

 百済寺跡はすでに特別史蹟に指定されている(1952年)。その地は公園化している(1970年)。

 いまとなっては信じがたいことだが、日本初の史蹟公園である。

 その輝かしい位置に反して、現地は見にくい。ほとんど公園化当時のまま放置されている。前回京都府向日市の長岡宮跡の複数の史蹟公園をあるいたから、受講者にも新旧の差が歴然とわかる。

 再整備すべき時期に来ていると認識されて久しい(『図説日本の史跡』5、127ページ、同朋舎、1991年、堀江門也氏執筆)。

 そののち北上し、禁野本町遺跡に行く。1986年以来、集合住宅や市民病院の建設などで大規模な発掘調査を継続している。

 その結果、奈良末から平安前期、百済寺跡とセットで碁盤目状の都市的な整備をしていたことが明らかになった。建物遺構も二ケタ検出されている。百済王氏の邸宅跡である可能性大である。

 ところがそれがまったく(おそらくまったく)保存措置はなされず、破壊し放題

 桓武朝を検討するうえできわめて重要な遺跡ではないか。百済寺跡とセットで特別史蹟に追加指定すべきものだ。地域をあげての啓発活動もほとんど聞かない。研究者からも。これでいいのか、いいわけがない

 せめて石碑や表示板を探したがみつからない。

 やっと市民病院敷地で見つけた。それが掲示写真。遺跡の範囲を示す地図はない、出土品の写真もない、ただひたすら文章があるだけ。いつの時代の保存施設だ。おどろいた一昨年の建設じゃないか。

 この解説板ではじめて遺跡の存在にふれる一般に、その意義深さなどほとんどわからないはず。

 何にもないよりましではないぞ。

 暗い気持ちになった。枚方市なさけない。

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