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2012.07.29

御土居際三条塵捨場に無縁墓地があった話

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 昨日の御土居堀跡をあるく。

 西大路御池駅からいったん北上し、京都地方気象台で行われている発掘調査現場を外から拝見し(巨大な堀が検出されている。外から眺められる)、南下する。

 市五郎神社では、管理者の北村多美子さんにお目にかかれた。たいへんご無沙汰していた。

 さらに南下。三条通にたっする。ここで元禄15年(1702)製作の御土居絵図(京都大学総合博物館蔵)を示し、三条口の土居の東際の南に「塵捨場」があったことを述べた。

 これは江戸中期の公儀がつくったデータブック「京都御役所向大概覚書」の「洛中塵捨場之事」という項目にも記載があり(上巻、清文堂出版、273ページ)、まちがいない。ほんらいならばこの史料を皆さんにも配布すべきだったが横着して示さなかった

 その際、受講者から死体も放置されたのかと聞かれたので、塵捨場は墓地ではないので死体は廃棄されませんと述べた。

 会はそのあと四条の屈曲部まで行き解散になったのだが、本日、上記につき気づいていないことを知ったので述べておく。

 参加者の「小大豆」さん(https://twitter.com/azdaiz)が、山崎達雄さん著『洛中塵捨場今昔』(臨川書店、1999年)にこの三条西土手(御土居のこと)の塵捨場の記載があることをツイッター上で述べられ、記載内容に矛盾があると指摘された。

 「三条西土手の塵捨場は、三条通の御土居の西側にあった無縁墓地を利用した」という部分である(同書、33ページ、8行目)。

 上述のように、三条西土手の塵捨場は、御土居の東際にあったのだから、移転したというのならともかく、「御土居の西側にあった無縁墓地を利用した」ということはありえない。

 単純な誤植かとも思われたが(東と書くべきところを西と誤ってしまった。恥ずかしながら僕もけっこうします)、「小大豆」さんが、出典不明なのでどこかおかしいのか分からないというようなことを述べられたので、調べてみることにした。

 すると意外なほどすぐ典拠と思われる史料を見つけた。

 『京都御役所向大概覚書』の「洛中塵捨場之事」の次の文書がそうだと思われた。「洛外五ヶ所無縁墓地之事」である(前掲、274ページ)。

 この記載内容を意訳すると、「西之藪土居外三条」を上がるところに、山之内村・西院村の両村の無縁墓地が1か所あります、(略)そのほかに「三条通土居之内塵捨場」に1ヶ所(無縁墓地が)ありますが、これは今後停止という感じか。

 これが元禄12年4月(1699)のことともある。

 つまり「三条西土手の塵捨場は、三条通の御土居の西側にあった無縁墓地を利用した」のではなく、三条西土手(御土居)東の際の塵捨場内に無縁墓地もあったが、三条西土手の外に山之内村・西院村両村の無縁墓地が存在する(つくったの意か?)ので、これは停止したということになろう。

 あっさり言ってしまうと、三条口土居の東きわの塵捨場にも無縁墓地はあったが、それは土居の外(西側)の無縁墓地成立とは直接関係はないということである。

 ただいかんと思ったのは昨日の質問とのからみである。

 僕は三条口土居の東きわの塵捨場に人骨はなかったと述べた。が、元禄12年4月(1699)以前にはここに無縁墓地があったのだから、当然人骨もあった。

 つまり昨日の答えは不適切だったと気づいたわけだ。不勉強ゆえのミスということでここで掲示しおわびいたします。

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