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2012.05.27

また古高俊太郎にこだわって歩いた

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 本日、また古高俊太郎三昧な巡検を行った。

 超マニアなのに、ちゃんとそれなりの参加者がいる。まったく恐れ入る。

 大津代官所跡、石原正美墓(本長寺)、山科毘沙門堂を訪ねた。

 集合場所は、JR大津駅(滋賀県大津市)。

 大津代官所は、古高俊太郎の父周蔵の勤め先。拙著『池田屋事件の研究』(講談社現代新書、2011年)で紹介しながら、原文引用できなかった史料を多数レジュメに掲載し、現地で読んだ。「県令集覧」とか。

 同代官所は、豊臣期まで存在した大津城の本丸跡。現地に大津城跡の表示は2カ所あるが、代官所跡を示したものは皆無。とんでもないことだ。

 石原氏は、江戸後期以後の大津代官。正美はその最後の人で、古高周蔵が仕えた正修の子息にあたる。本長寺には、なぜかその石原正美の墓碑のみ存在する。お寺の方に案内を願って、やっと見つけた。

 同じ大津代官でも、初期の小野氏のものは大きな板碑ですぐわかったのに。

 ここから京阪電車に乗って、京都市山科区へ移動。ほんとうは徒歩で越境したかったのだが、参加者全員に反対された。

 毘沙門堂は、もと洛中寺院(寺町今出川上ルあたりに所在)。近世前期に徳川家の意志で洛東安祥寺の土地を摂取して移ってきた。

 「都名所図会」の毘沙門堂の挿図を片手に、現境内を歩きまわった。近世中期からほとんど景観が変わっていない。すごいこと。

 移動直後の建物も残り(本堂など)、古高周蔵・俊太郎父子が毘沙門堂を訪ねたことがあったとすれば、もっとも父子を感じれる場所といえる(古高父子は、内裏近隣の里坊に仕えているので、ふだんは洛中にいる)。

 次回は本年6月24日(日)です。超豪華版です。よろしくご参集ください(詳細は↓)。要予約。

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