「土佐勤王党」は同時代史料にない
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2012年4月23日(水)
武市半平太グループを一般に「土佐勤王党」と称す。
が、「土佐勤王党」と記した同時代史料は皆無だと思う。
では当時組織名はなかったのかと悩んでいたら、寺村日記に「樋口新吉、平井周次郎来る―皆勤王組」(『寺村左膳道成日記』(二)、文久3年2月28日条、15ページ)とあった。
「勤王組」かあ。これが固有呼称かわからないけど。
ほかにも事例があればよいのだが、知らない。
でもこの横田達雄編『寺村左膳道成日記』はそのまま使用してよいかうたがわしいところがある。
文久3年5月27日条(1863年)の姉小路公知殺害のところで、「多分新撰組等之業なるへしと云説なり」とあるは、おかしい。
壬生浪士に「新撰組」の名が下るのは、八月十八日政変以後(拙稿「新選組誕生秘話」『新選組を歩く』、新人物往来社、2003年、112-113ページ)。
原典確認しないと使えない。「たぶん新選組などのしわざではないか」って、龍馬殺害のときの書きぶりに似ている。
(故横田達雄さんが信用できる研究者だと承知して述べております)。
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