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2012.03.23

幕末の因州鳥取屋敷跡に表示が建っていた

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 2012年3月22日(木)、上京区堀川中立売東入ル南側に、幕末期の因州鳥取屋敷跡の解説板が建っていたことを知った。いつ建ったのだろう。

 非常にありがたいし、邸宅建設の時期も記載されている適切な解説と思う。が、惜しいかな石碑がない。駒札だけではなく石碑も欲しかった。

 さらにいえば、この地は「甲斐守町」である。豊臣期の黒田甲斐守長政の邸宅跡の可能性が高い(尼崎本「洛中洛外図屏風」に同屋敷と思われる描写がある)。そのことが解説には記載がない。残念である。

 京都は1100年のミヤコであるから、土地には古代以来の由緒がある。ほんのわずかな時期の施設だけを表示するのはその土地を正しく顕彰したことにならない。

 もちろんこの解説板にかぎったことではないのだが、京都に建てる碑にはぜひこれを意識してほしいと願う。

 とはいえ、因州鳥取池田家は長州毛利家とも親しく、また解説にもあるように幕末期の当主慶徳(よしのり)は水戸徳川家出身であり、幕末政局に大きな存在を示した(拙著『池田屋事件の研究』、講談社現代新書でもそうとう述べたつもり)。その邸宅跡を示したものができたことには心より感謝している。

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