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2012.02.27

2月13日~16日の中村武生

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2月13日(月)

 人間ドックに行く。はじめてのこと。

 午後から内勤。CS銀河チャンネルで、NHK大河ドラマ「秀吉」再放送はじまる。夜はビール飲まず。

2月14日(火)

 基礎からまなぶ!日本歴史に出講。

 本日は太陽暦の採用と徴兵令発布。太陽暦の詔書、プリントが足りなくなる。

 時事は藤原宮跡で出土した「和同開珎銀銭」木簡の件と、井伊美術館が発表した井伊直弼のラブレターの件。

 それから先日他界された横田健一先生の思い出と、近衛通隆さんの学恩について語った。

 夕方、旧城州葛野郡上桂庄へ整体に行く。

 夜、「龍馬とお龍が愛した京都」がBS朝日で放映。僕がかかわった石碑が3つ登場した。

 この番組、昨年末に監修と出演を依頼された。なのに条件交渉中に相手さんが連絡を絶たれた。成立しなかったのかと思っていたら、知らないところで製作されていたようで、今夜菊地明さん監修で放映されたというわけ。たいへん驚いた。テレビ製作者への不信が増幅しつづけております。

2月15日(水)

 「天皇陵をあるく」に出講。本日は六条・高倉天皇陵を対象にした。渋谷街道をあるき、馬町十三重塔なども話題にした。大阪皇陵巡拝会の道標も2つ確認した。高倉天皇陵は埋葬地が信用できる数少ないひとつ。

 夜、左右田一平さんの逝去を知る(今月10日)。往年の新選組ドラマ各種に出演された方(たとえば鶴田浩二主演「新選組」の斎藤一役)。享年82歳。ご冥福をお祈り申し上げます。

 お嬢さん、夕食をしながら寝る。いつもより早いが、起こすのも気の毒なのでふとんに入れた。が、午後11時30分すぎごろ目を覚ます。閉口。今一度寝かしつけ。奥さんと交代して、明日の予習をさせてもらう。

2月16日(木)

 名古屋市の栄中日文化センターに出講。積雪を原因とする到着遅れを恐れたが、問題なく着いた。

 今回の「日本の城と合戦」は、幕末の天狗党の乱。たんに戦争過程を述べるのではなく、政治史のなかで論ずる。最重要なのは、元治元年六月政変(1864)。意外と知られていない、池田屋事件前後におきた江戸城内での政争。

 夜、16学会が、宮内庁より用明・推古両天皇陵(大阪府太子町)の現地調査の許可を得たことをネットのニュースで知る。推古天皇陵は、宮内庁の比定が正しい可能性の高いもの。23日(木)実施の由。

 17日(金)から翌18日にかけて日本海側で大雪の恐れと知る。18日(土)午後から石川県金沢市での「惣構(そうがまえ)シンポジウム@金沢」に出席の予定。大丈夫か。列車に閉じ込められないか。不安におそわれる。

 明日の「くずし字入門」の予習をする。

 一昨年、1万円で購入した正宗敦夫編『地下家伝』が初めて役立った。山田筑後守成澄日記、文久3年10月4日~5日条(1863年)。「北面、畑肥前守」とあるは、畑綱之(1825~?)のことと思われる。同書で知れた(同書、下巻、968頁)。

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2012.02.22

小田原と金沢の惣構の文献

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 去る2月19日(日)、金沢市文教会館で行われた、「惣構(そうがまえ)シンポジウム@金沢」(主催:惣構シンポジウム実行委員会<大阪市立大学仁木宏研究室内>)で、以下の書籍を頂戴しました。記して改めて御礼申し上げます。

○佐々木健策さんから

一、『小田原北条氏の城郭―発掘調査からみるその築城技術』、東国中世考古学研究会、2010年

○庄田知充さんから

一、『金沢城惣構跡Ⅰ―西外惣構跡・東内惣構跡発掘調査報告書―』(金沢市文化財紀要252)、金沢市埋蔵文化財センター、2008年

一、『金沢城惣構跡Ⅱ―西内惣構跡(主計町地点)発掘調査報告書―』(金沢市文化財紀要269)、金沢市埋蔵文化財センター、2011年

以上

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2012.02.19

2月10日~12日の中村武生

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2/10(金)

 めずらしく外勤のない日。いつものくずし字入門は、今週水曜日に実施した。

『鴨の流れ』第15号(京都維新を語る会、2012年1月)を、京都維新を語る会の大西荘三郎さん・川崎泰市さんから恵贈いただく。「中村武生」がおどろくほど登場する。

2/11(土)はれ

 富松(とまつ)城跡を活かすまちづくり委員会(兵庫県尼崎市)の設立10周年記念式典に出席する。たくさん宿題をいただきました。すばらしい会でした。お招きいただき感謝申し上げます。

 えげつない標語をならった。「まちづくり、地域の平和、家庭不和」。おそろしい。

2/12(日)

 「坂本龍馬の歴史地理-その居所はどこか」に出講する。慶応元年閏5月(1865)、龍馬は薩長和解を進めるため下関および長府にいた。木戸孝允らと合流し、いっしょに西郷隆盛を待っていたが中岡慎太郎のみだった。西郷は来なかった。時間が足らずそこまで達せず。次回つづきをします。

 このときの渋谷彦介宛の龍馬書翰、および、西郷吉之助宛渋谷彦介ら書翰の内容が松浦玲氏『坂本龍馬』に紹介あり(岩波新書、79頁)。が、手元の『坂本龍馬全集』4訂にもPHP文庫『龍馬の手紙』にも載っていない。『西郷隆盛全集』や『忠義公史料』にも。

 それを会場で話したら、受講者F橋A子さんがここに載っていると。講談社学術文庫『龍馬の手紙』でした(111~118頁)。

 うかつでした。ながくPHP版を愛用しており、講談社版に新出史料の拾遺があると知っていましたのにそのうちそのうちと放置していました。失態です。帰りに講談社版をさっそく買いました。

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2012.02.15

2月7日~9日の中村武生

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2/7(火)

 基礎からまなぶ!日本歴史に出講。本日は、明治の兵制改革。大村益次郎殺害、4鎮台のこと、徴兵令のことなど。時事ネタは、北方領土の日(本日)と豊臣秀吉の誕生日の件。今年は北方領土の日のテレビCM(政府広報)無かったんじゃないか。

 終了後、NPO法人京都歴史地理同考会の理事会。今年の建碑予定地が話題になり、終了後視察に行く。さてどうなるか。

 視察後、京都駅前で懇親会。キリン一番搾りを出すお好み焼き店。味もよかった。一番搾り難民にはありがたい店。また使う。

 夜、横田健一先生(関西大学名誉教授)の長逝を知る。大好きな先生のひとりでした。1学年上のゼミの伊勢旅行に無理にお願いして連れて行っていただきました。ほかにも私的なイベントにご出席を賜りました。少なくない想い出があります。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2/8(水)

 雪が降る。お嬢さんを外に連れ出し雪をかぶらせたが、無反応だった。

 くずし字入門に出講。いつもの幕末大仏御殿(妙法院)家来日記。本日は文久3年10月1日~4日(1863年)。

 前回同様、天誅組情報が多い。彦根井伊家が首級6つを取った、その首は那須信吾・宍戸弥四郎らである、9月25日に乱が「平定」され、中山忠光が「没落」した、大坂長州屋敷に浪士が逃げ込んだが、来ていないと答えたなど。

 これに対して土佐の山内兵之助(豊積、容堂の実弟)が大坂にいたため、(戦闘)用意として甲胄百領を大仏内智積院(「智門」)から送ったらしい。興味深い。

 事実なら土佐は中山忠光の身柄を巡って長州と一戦するつもりだったことになる。まあ誤報だろう。なお智積院は当時の山内兵之助の居所だった。

 本日、武井咲さんの等身大(爽健美茶、やや小)が届けられ、某所に安置された。

 地下鉄駅で近所のKさんにばったり会い、南山科地区の歴史編纂が話題になる。

 夜、横田健一先生の前夜式(キリスト教)に出席。おごそかでした。帰宅して奥さんに横田先生の想い出話をたくさんする。

2/9(木)はれ

 京都新聞文化センターに出講。保元の乱。角田文衛博士の白河と待賢門院の密通説でもりあがる。座学なのに巡検もした。その密通ゆかりの地。鳥羽の内裏(土御門殿)跡と、白河の院御所(正親町殿)跡。

 終了後、受講者の一部と懇親する。

 夜、美川圭さん「崇徳院生誕問題の歴史的背景」(『古代文化』56巻10号、2004年)を読みなおした。

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2012.02.12

2月5日~6日の中村武生

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2月5日(日)

 めずらしく外勤がないので、内勤に徹する。

2月6日(月)小雨

 秀吉の誕生日とされる日。

 誕生日を天文6年2月6日(1537年)とするのは、「関白任官記」の「誕生の年月を算ふるに、丁酉二月六日吉辰なり」が根拠である。

 が、北野神前に供えた慶長2年3月1日(1597年)銘の燈篭に「御歳丙申為御祈祷也」とあるのも無視できないのではないか(北野天満宮蔵、『京都古銘聚記』)。

 丙申は天文5年(1536年)にあたる。

 都名所図会をあるく(宇治郡山科・醍醐編)に出講。天気が悪くともちゃんと参加者がある。六地蔵村から伏見町へ向かう。ほんとうは木幡に向かいたかったのだが。

 大善寺、月橋院を参拝。大善寺にことのほかゆっくりいた。見るべきものいっぱい。

 さらに月橋院。伏見殿や指月伏見城、伏見宮と般舟院の由緒を語った。この地の意義深さがほとんど理解されていない。なんともったいない。先日消失した洛中の般舟院とからめて。

 豊後橋(観月橋)前で既知の方に出会い、伏見徳川秀忠邸の位置について質問され驚く。電車1本乗り遅れた。ゆえに橋北詰の明治天皇聖蹟碑でしばらく遊ぶ。

 天理大学に行かなくてよいので、六地蔵村にもどって家族に昼食を買って帰った。このあとは内勤。

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2012.02.10

【寄贈】『鴨の流れ』第15号

 京都維新を語る会の大西荘三郎さん・川崎泰市さんから以下の書籍を恵贈いただきました。知らないこと多く、ためになります。記して御礼申し上げます。

 一、『鴨の流れ』第15号、京都維新を語る会、2012年1月

以上

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2012.02.09

2月2日~2月4日の中村武生

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2012年2月2日(木)

 NHK文化センター京都教室に出講。「日本史をまなびなおす」講座。大化改新前夜。

 降雪のためJRダイヤ大混乱中。山科駅でも30分遅れが起きている。そもそもプラットホームにも車内にも人が少ない。本日JRを使わない人が増えているか?

 午後から京都新聞文化センターの巡検。「平清盛」をあるく講座。法勝寺跡など白河地区を歩いた。たいへんな寒さ。にもかかわらず、欠席者少なし。京都市動物園を歩きまくり。八角九重塔跡である観覧車にも乗る。けっこう高い。それでも八角九重塔の7分の1。どんだけでかいねんの連発。
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 終了後、受講者の一部と懇親。帰途、たい焼きをあるだけ買う。
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2月3日(金)
 くずし字入門に出講。本日も幕末大仏御殿家来日記。文久3年9月26~27日条(1863年) をよむ。
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 伴林光平と西田仁兵衛も平岡鳩平(北畠治房)ともに大和の戦場を脱出したと記す。平岡からの情報だろう。すると平岡は伴林が無事逃げおおせたと信じていたということか(実際は大和・河内国境で捕縛)。
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 その他、記主山田筑後守が平岡鳩平(北畠治房)の潜伏に関わったことがわかる。これはすでに北畠の回想録により周知であったが、より具体的な様子が感じられる(舌足らずで分かりにくいが)。
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 くわえて関白鷹司輔熈(「楊梅殿下」) の差控が免ぜられたとも記す。
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  終了後、城州葛野郡上桂庄に行く。
2月4日(土)
 京都新聞朝刊(地域プラス欄)に、中村武生と拙著『池田屋事件の研究』(講談社現代新書)が紹介される。執筆は仲屋聡さん。
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 名古屋市の栄中日文化センターの新選組講座に出講。
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 禁門の変。会津と長州の政治過程のなかで新選組をとらえることを心掛けた。九条河原の布陣は、本隊たる伏見長州勢が竹田街道を北上し入京する入り口にあたる。最重要ポイントの一つといえる。
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 結果は竹田口より南の藤森で伏見長州勢は大垣戸田家に敗れた。戸田家の砲撃に長州家老福原越後が負傷したからだ。戸田家は追撃を拒んだため、新選組が伏見街道の稲荷から墨染まで追撃した(浪士文久報国記事)。新選組はけっこうな活躍をしている。
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 このあと洛中から砲声が聞こえる。嵯峨天龍寺の長州勢が禁裏御所に迫ったのだ。新選組を含む会津勢は北上し、禁裏御所に迫る。このあたりはまた次回。
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 夜は上七軒のお茶屋大文字でお仕事。東海大がえし。湖北・湖東の雪景色に絶句する。平安京や洛東、尾張国愛知郡では見られなかった。が、野洲郡まで来るともう雪は無い。犬上郡までか。
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  上七軒でも清盛の話をする。終了後、「お化け」行事。われわれはAKB48に化ける。

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2012.02.06

【講座】坂本龍馬の歴史地理

<講座ご案内>

坂本龍馬の歴史地理―その居所をさぐる

   第2回「薩長同盟の模索―慶応元年閏5月(1865年)~」

日時:2012年2月12日(日)午後2時10分~午後3時20分

会場:キャンパスプラザ京都・5階第4演習室

(京都駅烏丸中央口から西へ徒歩4分、ビックカメラの向かい。下京区塩小路西洞院下ル東側)

  講師:中村武生(歴史地理史学者、京都女子大学など非常勤講師)

  受講料:1回1,000円(予約不要。会場でお支払いください)

  ※次回は、本年3月4日(日)午前10時50分~12時 会場は同じ

  主催:中村武生歴史地理研究室

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2012.02.03

2012年1月29日から2月1日の中村武生

2012年
1月29日(日)
 午後、「坂本龍馬の歴史地理」第1回に出講。「中村武生歴史地理研究室」で実施した。コーヒーとお茶が出て、茶話会の様相。
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 元治2年4月(1865年)の九州行きから。鹿児島から熊本に入り、大宰府で三条実美ら五卿に会う。そのひとり東久世通禧が龍馬を絶賛したのはこのときのこと。その後、下関へ。20万分の1地形図上で龍馬のあとを追ってみた。けっこうウケた。通説にもひとつ新しい可能性を足せた。
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 夜、懸案の原稿がひとつやっと上がった。メールで提出した。ある幕末史蹟にかかわるもの。名誉なこと。
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1月30日(月)
 午前中、「都名所図会をあるく」宇治郡(山科・醍醐)編。石田村と日野村が対象。
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 式内社「天穂日命(あまのほひのみこと)神社」とされる旧田中社、石田殿跡参考地、法界寺を巡検。
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 旧田中社は背後に秀麗な山がなく、式内社であるか疑ってみるべきだと感じる(肯定する積極的根拠を知らない)。万葉集などの歌にたびたび登場する石田森(いわたのもり)の位置をいちおう疑わないのだが(地名が生きているから)、石田森イコール天穂日命神社とは限らない。
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 終了後、近鉄特急で大和に向かう。時間なく、久し振りに志津屋のサンドイッチを食す。
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 天理大学の講義。本年度最終日。幕末洛東大仏論。大和とのかねあいでいえば、天誅組が挙兵の際、大仏から出発したことか。その後、敗走した天誅組浪士が、上街道を北上する。そのとき大和丹波市(たんばいち、現天理市)を通るので天理大学は地理的に天誅組と無縁ではない。
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 帰途、某古書店で『五條市史』史料編(1987年)を1,500円で購入(超安価!)。その天誅組史料の良質な史料が含まれている。
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「ありがとうございます。箱無しですが、うれしいです。ずっと院生のときにしたコピーを使っておりました。予想通り、過去にコピーしなかった部分に重要史料が入っておりました。慈しんで使わせていただきます」。
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 本日1月30日は、孝明天皇の祥月命日。慶応2年12月25日だが、西暦換算すると1867年1月30日にあたる。
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1月31日(火)
 「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。版籍奉還と廃藩置県がお題。
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 廃藩置県当日(明治4年7月14日=1871年8月29日)の木戸孝允の日記と、1週間後(7月20日=同9月4日)の桂久武宛西郷隆盛書翰を読んだ。事をなした感激と、旧主に損害を与えた苦しみの両極を伝えた。
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 いつもの時ネタは、原本が見つかった慶応4年1月11日(1868年2月4日)付、山内豊範宛の勅書の件と、上京の晴明神社と土産物店との騒動の2件。
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2月1日(水)
 「天皇陵をあるく」に出講。鳥羽殿跡(旧城州紀伊郡竹田村)の白河・近衛,鳥羽天皇陵が対象。天気が悪いのに、それなりの人が集まる。コピー足らず。
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 この三陵は珍しく信用できるもの(ただしそれぞれの異動はあるのではないか)。鳥羽殿最大の寺院、金剛心院の九体阿弥陀堂跡がラブホテル。絶句して言葉が出ず。石碑も無し。
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 城南宮に参拝し、秋ノ山を通って鳥羽街道に出る。鳥羽殿跡の西限である。旧鳥羽作道。鳥羽殿の交通路上の位置をご説明し終わる。
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 終了後、京都駅で有志とミニ懇親会。

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