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2012.02.03

2012年1月29日から2月1日の中村武生

2012年
1月29日(日)
 午後、「坂本龍馬の歴史地理」第1回に出講。「中村武生歴史地理研究室」で実施した。コーヒーとお茶が出て、茶話会の様相。
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 元治2年4月(1865年)の九州行きから。鹿児島から熊本に入り、大宰府で三条実美ら五卿に会う。そのひとり東久世通禧が龍馬を絶賛したのはこのときのこと。その後、下関へ。20万分の1地形図上で龍馬のあとを追ってみた。けっこうウケた。通説にもひとつ新しい可能性を足せた。
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 夜、懸案の原稿がひとつやっと上がった。メールで提出した。ある幕末史蹟にかかわるもの。名誉なこと。
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1月30日(月)
 午前中、「都名所図会をあるく」宇治郡(山科・醍醐)編。石田村と日野村が対象。
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 式内社「天穂日命(あまのほひのみこと)神社」とされる旧田中社、石田殿跡参考地、法界寺を巡検。
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 旧田中社は背後に秀麗な山がなく、式内社であるか疑ってみるべきだと感じる(肯定する積極的根拠を知らない)。万葉集などの歌にたびたび登場する石田森(いわたのもり)の位置をいちおう疑わないのだが(地名が生きているから)、石田森イコール天穂日命神社とは限らない。
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 終了後、近鉄特急で大和に向かう。時間なく、久し振りに志津屋のサンドイッチを食す。
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 天理大学の講義。本年度最終日。幕末洛東大仏論。大和とのかねあいでいえば、天誅組が挙兵の際、大仏から出発したことか。その後、敗走した天誅組浪士が、上街道を北上する。そのとき大和丹波市(たんばいち、現天理市)を通るので天理大学は地理的に天誅組と無縁ではない。
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 帰途、某古書店で『五條市史』史料編(1987年)を1,500円で購入(超安価!)。その天誅組史料の良質な史料が含まれている。
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「ありがとうございます。箱無しですが、うれしいです。ずっと院生のときにしたコピーを使っておりました。予想通り、過去にコピーしなかった部分に重要史料が入っておりました。慈しんで使わせていただきます」。
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 本日1月30日は、孝明天皇の祥月命日。慶応2年12月25日だが、西暦換算すると1867年1月30日にあたる。
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1月31日(火)
 「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。版籍奉還と廃藩置県がお題。
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 廃藩置県当日(明治4年7月14日=1871年8月29日)の木戸孝允の日記と、1週間後(7月20日=同9月4日)の桂久武宛西郷隆盛書翰を読んだ。事をなした感激と、旧主に損害を与えた苦しみの両極を伝えた。
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 いつもの時ネタは、原本が見つかった慶応4年1月11日(1868年2月4日)付、山内豊範宛の勅書の件と、上京の晴明神社と土産物店との騒動の2件。
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2月1日(水)
 「天皇陵をあるく」に出講。鳥羽殿跡(旧城州紀伊郡竹田村)の白河・近衛,鳥羽天皇陵が対象。天気が悪いのに、それなりの人が集まる。コピー足らず。
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 この三陵は珍しく信用できるもの(ただしそれぞれの異動はあるのではないか)。鳥羽殿最大の寺院、金剛心院の九体阿弥陀堂跡がラブホテル。絶句して言葉が出ず。石碑も無し。
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 城南宮に参拝し、秋ノ山を通って鳥羽街道に出る。鳥羽殿跡の西限である。旧鳥羽作道。鳥羽殿の交通路上の位置をご説明し終わる。
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 終了後、京都駅で有志とミニ懇親会。

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