日記の記述がひと月ずれていた!
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「中村武生のくずし字入門」に出講。
いつもの「大仏御殿妙法院家臣幕末日記」(仮称)を読む。たいへんな誤解にきづく。
冒頭に8月5日夜とある。天誅組の乱の記載などがあるため、文久3年(1863)と判断した。それに誤りはない。
が、月が誤りだった。8月ではなかった。9月だった。それにきづいて疑問が氷解する。
妙法院日記を使用された、村山修一氏『皇族寺院変革史』の七卿落の部分によれば、文久3年8月19日(1863年)に山田筑後守が有栖川宮邸に行っている(塙書房、2000年、638頁)。
ところが前掲「幕末日記」の「文久3年8月19日」条にそんな記事はない(記主は山田筑後守)。不思議であったが謎はとけた。そう、つまりこれは「文久3年9月19日」条だったのだ。載っていなくて当然だ。
ほかにもいろいろおかしな点があったのだが、ひと月ずれていると知れば、(たぶん)すべて謎が解ける。もう一度見直しだ。
そののち大谷大学の講義に行く(歴史地理学という科目)。本年度最終日だった。平成の「寺田屋騒動」を論ずる。史蹟論の一環であるが、1880年(明治13年)に廃業した寺田屋が、なぜ26年後の1906年に再開するのか、これは伏見の地域論に使える。これだけでも歴史地理学的である。
さらに旧葛野郡上桂庄に行き、1時間30分ほど滞在して、旧宇治郡山科郷に帰る。