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2011.12.24

「陀峯へ内々参詣」ってなんだろう?

「中村武生のくずし字入門」。

八月十八日政変直前の洛東大仏御殿(妙法院)家来の周辺。

「大和金山」(全山?、原文「銀山」を訂正してある)奉った丹波屋庄兵衛が分からない。

ただし元治元年4月8日(1864)付古高俊太郎宛喜多村雅楽書翰の「大和銀山願主」の丹波屋庄兵衛と関わるものと思われる(『殉難国士古高俊太郎伝』附録27ページ)

その他、「陀峯へ内々参詣也」が注目される。

「陀峯」は阿弥陀ヶ峰の意だろう。

でも阿弥陀ヶ峰に内々に参詣ってなんだ?新日吉社か?まさか豊国社跡や豊臣秀吉墓ではないだろう。、それ以外全く思いつかない。八月十八日政変の直前、文久3年8月10日(1863年)のことである。

そのあと大谷大学へ。祝祭日だが講義がある。

本日は巡検。近くの「三宅安兵衛遺志」標石を訪ねる尾形光琳宅跡碑である。

1929年(昭和4)1月建立と刻まれている。最後の三宅碑の一つ。面には京都史蹟会建とある。同会が三宅清治郎から資金を託され建てたと思われる。が、三宅日記に記載がない。

ついで上御霊神社にまいり、応仁の乱勃発地標石や境内の新村出句碑についてコメントする。もう少し時間があれば新村出旧邸を訪ねられたのに。

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