池田屋事件をまだ知らず毛利定広が軍事調練を行った場所にきた
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とりあえず、昨日の成果。
大楽源太郎の西山書屋跡の石碑(防府市台道上り熊)。
昨年9月建ったばかり。建立者は、「ふるさと大道を掘り起こす会」。
茶室跡と塾生寮跡を示す平坦地もあった。
どうしてわかるかの追及は、いまはおいておきます。
この眼下(東方向)に、繁枝ヶ原が広がる。
元治元年6月6日(1864年7月9日)、率兵上京の決定を受けて、世子毛利定広が軍事調練を行った場所。
この前夜、京都では池田屋事件が起きている。
池田屋の報が山口につくのは6月12日。ちなみにその使者のひとりが大楽源太郎。
大楽が西山書屋を営むのは、それから2年ものちのこと。
ここから寺内正毅を出したことは、司馬遼太郎の小説などで有名でしょう。
繁枝ヶ原を見に来て、たまたま大楽に出会ったという感じ。
もよりの駅は、JR大道駅です。
駅からすこし西へ進むと「繁枝神社」があります。調練の日、定広はこの木陰で休憩しただろうかと想像していたら、ここに大楽の石碑があり気づいたというわけ。
入り口には西山書屋跡碑への道案内板までありました。それゆえ訪問できたというわけです。
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