秀頼最後の上洛を考えた
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京都新聞文化センター講座終わる。豊臣秀頼論。 東京芸術大学蔵や養源院蔵の秀頼像の真偽について考えた。
秀頼の最後の上洛がどういうものであったか、「当代記」も含めて検討。
復元してみると、NHK大河ドラマ「葵―徳川三代」のこのシーンは、信用できる史料に厳密に描いていないことがわかる。家康が秀頼に盃を与えたり、満場「万歳」を述べるシーンはない。
上洛ルートの復元も試みる。
加藤清正や浅野幸長は淀へ迎えにきているし、徳川義直らは上鳥羽である。これすなわち鳥羽街道を進んだことになる。
だから本多正純がいう、「竹田通」(竹田街道)を通ったというのは誤りと断定した。これを地図上にマーキングしてもらった。
おそらく東寺門前、四塚から洛中に入り(惣構の土塁・堀を通り)、堀川を北上すれば、二条城東門にたっする。
そのとき言わなかったのだが、どうしてこのとき秀頼は参内しなかったのだろう。前右大臣なのに。なにかわけがあるはずである。朝廷に対して失礼だし。それがわからない。
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