« 高橋慎一朗さんから醍醐寺研究書を拝受する | トップページ | 池田屋事件の最後の基礎的調査をはじめる »

2011.07.28

豊国社の社参と真木和泉の墓参

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

7月27日(水)くもり

 京都女子大学に出講。

 旧大仏境内の豊国社跡の巡検を行う。豊国社は豊臣秀吉の墓である。墓が神社だった(豊国神社ではない)。いわば日光東照宮の先駆的な施設である。

 京都女子大学通学路の坂道(いわゆる女坂)そのものが、豊国社の旧参道である。つまり校地をうろうろするだけで講義となる。すばらしい環境。

 ほんとうは今回で講義終了だった。が、先週台風で講義が流れたので、来週振替えが行われる。

 次回は大仏境内の広さを体感するため、4門跡を歩いてみる。4門は北惣門、仁王門、西門、南門である。

 午後からはよみうり文化センター京都教室の巡検で、乙訓郡大山崎町へ。

 天王山登山。禁門の変で自刃した真木和泉らの墓参である。新選組講座の一環。新選組をふくむ会津松平家が天王山の残党を追撃し、自刃を見届けた。

 いうまでもなく、現場で原史料を読んだ。自刃したのを17人とするが、根拠希薄であること、真木和泉が敗戦後天王山に向かったのは何のためか、厳密に論じられたことがないことを指摘した。

 なんとなく、自刃のために京都を離れ、旧陣所である山崎に戻ったみたいにいわれているけれど、天王山は旧陣所ではない。真木の旧陣所は妙喜庵である(「離宮八幡宮傍妙喜庵 濱忠太郎」、小原家文書。拙著『中村武生とあるく洛中洛外』156ページ)。

 自刃が決定しているなら、鷹司屋敷など洛中の戦場で行うのが道理ではないか。山崎を通過すれば摂津国である。大坂がちかい。山崎から渡岸して橋本から乗船してもよい。長州へのがれるつもりだったのではないか。

 それがどこかの段階で変更したのではないか。

 史料根拠がないのでこれ以上は暴論になる。ひとつの可能性として思いついたことを述べておく。

 17人のなかには「池田屋」関係者が少なくない。よいときに墓参ができた。いろいろ気づけもした。とてもよい日だった。巻きこんだ受講者のみなさん、ありがとうございました。

 ふもとの喫茶店でのビール(サントリープレミアムモルツ)はうまかったです。

|

« 高橋慎一朗さんから醍醐寺研究書を拝受する | トップページ | 池田屋事件の最後の基礎的調査をはじめる »