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2011.07.10

池田屋事件の日にあったこと

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7/8(金)はれ

 池田屋事件の日。元治元年6月5日は西暦1864年7月8日だから。

 深夜午前1時30分ごろ、講談社メルマガの「本気で考える池田屋事件」最終回の校正原稿を担当さんにメールで返却。これで完全に手を離れた。

 くずし字入門に出講。ずっと江戸後期、弘化4年の尾張か三河の学者のような方の日記を読んでいる。記主が誰かわからない。でも同時代の名士っぽい人が出てくる。そこから突破口がほしいところ。

 やっと事実がみつかった。何度か出てくる「県令、馬場九八郎」が尾張徳川家家臣とわかった。徳川林政史研究所蔵の「藩士名寄」という家臣記録にその履歴があった(同所ホームページによる。Tさんの発見・翻読)。

 県令は代官の意だが、太田代官や佐屋代官などを歴任していた。まちがいない。すばらしい。

 終了後、大谷大学に出講。本日は巡検。前回以前に話題にした、後花園上皇の火葬塚および大応寺をふくむ寺之内地区。20名ほどの熱心な学生さん。

 それから木屋町へ。ある事情で御池上ルの「大村益次郎遺址」標石を再確認するため。たまたまその前で、やはりある事情で連絡をとりたいと思っていた方とばったり会う。さっそく事情説明。本日はブツを持参していない。日を改めてブツを前に議論する約束をした。

 そのあと供養のため、池田屋跡の飲み屋に行って、一人でいつぱい飲む。たまたま隣りの若い女性客3名が「池田屋」の読みのイントネーションを話題にしていたところ、そこで「なかむらたけお」の名が登場する。

 たまたま居合わせたまったく未知の方が、自身の話題をされる。なんともいえない気分。かならずしもいやな思いではなく、むしろ襟を正す思い。

 急いで帰って、おふろに参加。

 夜、講談社メルマガの「本気で考える池田屋事件」最終回が公開される。池田屋事件の日に最終回公開ですか。なんてすばらしいロケーション。なんてすばらしい。

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