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2011.07.30

池田屋事件の最後の基礎的調査をはじめる

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7月29日(金)はれ

 くずし字入門に出講。尾張国愛知郡山崎村の庄屋、山崎徳左衛門の履歴調査の発表あいつぐ。まだまだつづく。

 午後から池田屋事件のごく基礎的な調査のために京都地方法務局(河原町荒神口)に行く。Kさんにたいへんお世話になりました。

 お礼と慰労のため、問題の中京区中島町82番地に所在の店に行く。

 かるく飲んで散会。

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2011.07.28

豊国社の社参と真木和泉の墓参

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7月27日(水)くもり

 京都女子大学に出講。

 旧大仏境内の豊国社跡の巡検を行う。豊国社は豊臣秀吉の墓である。墓が神社だった(豊国神社ではない)。いわば日光東照宮の先駆的な施設である。

 京都女子大学通学路の坂道(いわゆる女坂)そのものが、豊国社の旧参道である。つまり校地をうろうろするだけで講義となる。すばらしい環境。

 ほんとうは今回で講義終了だった。が、先週台風で講義が流れたので、来週振替えが行われる。

 次回は大仏境内の広さを体感するため、4門跡を歩いてみる。4門は北惣門、仁王門、西門、南門である。

 午後からはよみうり文化センター京都教室の巡検で、乙訓郡大山崎町へ。

 天王山登山。禁門の変で自刃した真木和泉らの墓参である。新選組講座の一環。新選組をふくむ会津松平家が天王山の残党を追撃し、自刃を見届けた。

 いうまでもなく、現場で原史料を読んだ。自刃したのを17人とするが、根拠希薄であること、真木和泉が敗戦後天王山に向かったのは何のためか、厳密に論じられたことがないことを指摘した。

 なんとなく、自刃のために京都を離れ、旧陣所である山崎に戻ったみたいにいわれているけれど、天王山は旧陣所ではない。真木の旧陣所は妙喜庵である(「離宮八幡宮傍妙喜庵 濱忠太郎」、小原家文書。拙著『中村武生とあるく洛中洛外』156ページ)。

 自刃が決定しているなら、鷹司屋敷など洛中の戦場で行うのが道理ではないか。山崎を通過すれば摂津国である。大坂がちかい。山崎から渡岸して橋本から乗船してもよい。長州へのがれるつもりだったのではないか。

 それがどこかの段階で変更したのではないか。

 史料根拠がないのでこれ以上は暴論になる。ひとつの可能性として思いついたことを述べておく。

 17人のなかには「池田屋」関係者が少なくない。よいときに墓参ができた。いろいろ気づけもした。とてもよい日だった。巻きこんだ受講者のみなさん、ありがとうございました。

 ふもとの喫茶店でのビール(サントリープレミアムモルツ)はうまかったです。

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2011.07.25

高橋慎一朗さんから醍醐寺研究書を拝受する

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 以下の高著を拝受いたしました。記して御礼申し上げます。

 ●高橋慎一朗さんから

 一、永村眞氏編『醍醐寺の歴史と文化財』(勉誠出版、2011年3月、高橋慎一朗氏「醍醐寺文書から読み解く中世の社会」所収)

以上

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2011.07.23

京都文化博物館が学芸員を募集中

 京都文化博物館が学芸員を募集していますよ!受けませんか?

http://www.bunpaku.or.jp/info_bosyu.html

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2011.07.20

ある京都維新史蹟の解明への牛歩

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 暴風警報のため、京都女子大学休講でした。豊国社巡検だったのですが。

 先日、京都のある維新史蹟の来歴を知れる史料を某所でみつけた。

 ただし決定打には欠ける。これをもとに深めようと思っている。

 本日、午後からその活動をした。よい展開になればいいなと思った。気づけなかったことをいくつか気づけた。ありがとうございました。

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2011.07.19

絶えない締め切り、できない「すべき仕事」

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 各種の文化センター講座の来期の募集期がちかい。

 その案内文の締め切りがいっせいにやってきた。たいへんだ。

 これが終わると、大学のレポート採点だ。

 そのまえに碑銘もしなきゃ。

 池田屋事件の成稿しめきりもあっというまにくる。

 役所に出す書類もまだだ。

 いつ紀要論文に手を出すんだ。

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2011.07.18

【巡検】「御土居の袖」を南下する

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○御土居堀を考える市民講座(巡検)のご案内です。

「御土居の袖」を南下する

講師:中村武生(歴史地理史学者、立命館大学・京都女子大学など非常勤講師)

日時:2011年7月23日()午後1時~午後3時ごろ JR山陰線「円町」駅改札集合

受講料:1回500円(予約不要。集合場所でお支払いください)

※小雨決行

参考文献:中村武生『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)

主催:京都御土居堀研究会

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2011.07.16

あらたな標石を読んでみた

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 親しい方から、「ある私有地に石碑が建っているけど、なんて刻んであるかわからない」といわれたので見に行ってみました。

 そしたら、

 表に「従是乾八瀬持山」

  (【意訳】これより乾(西北)は八瀬の持山です)。

 裏に「従是巽山門領」

  (【意訳】これより巽(南東)は山門(延暦寺)の領地です)

とありました。

 おもしろい。

 これは延暦寺(現滋賀県大津市)の領地と、八瀬村(現京都市左京区八瀬)所有の山の境界を示した榜示石(境界石)です。

 ちなみに八瀬村は江戸時代、禁裏御料=天皇の所有地ですので、この「持山」の所有者は天皇ですね。

 いまでも比叡山のあちこちにこの兄弟がころがっています。

 そのひとつがどういうわけか、個人宅に運び込まれたのでしょう。

 事例が、次のサイトに掲載されていました↓

http://www.geocities.jp/hieisankei/stage00.html

 標石を読むのは楽しいねえ。

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2011.07.15

「宵々山」ではない

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 本日は祇園祭宵山の前日です。宵々山ではありません。宵々山は歴史用語ではありません。現代用語です。イブイブと同じです。おそらく1973年にはじまった、円山音楽堂の「宵々山コンサート」が淵源です(~2009年)。

 NHK大河ドラマ「新選組!」で、池田屋事件の日に「今日は宵々山だ」みたいなことをいわせたのは失笑ものでした。みなさん、お気をつけください。

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2011.07.14

本日はペリー久里浜上陸の日です

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  本日7月14日(1853年)は、ペリーが相模国三浦郡久里浜(現神奈川県横須賀市)に上陸し、アメリカ大統領フィルモアの親翰を、応接掛戸田氏栄・井戸弘道に手渡した日です(嘉永6年6月9日)。
  翌年ペリーは再来し、和親条約を結びます。

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2011.07.11

大阪市内の幕末史蹟碑に建碑などしてこられた奥野聡子さんの玉稿を拝受する

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 奥野聡子さんから以下の書籍を恵贈いたたぎました。記して謝意を表します。奥野聡子さんは大阪市内の幕末史蹟に標石などを複数設置してこられた篤志家です。

 一、『霊山歴史館紀要』第20号(霊山顕彰会、奥野聡子氏「大坂の幕末史蹟を顕彰する」所収)、2011年7月

以上

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2011.07.10

池田屋事件の日にあったこと

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7/8(金)はれ

 池田屋事件の日。元治元年6月5日は西暦1864年7月8日だから。

 深夜午前1時30分ごろ、講談社メルマガの「本気で考える池田屋事件」最終回の校正原稿を担当さんにメールで返却。これで完全に手を離れた。

 くずし字入門に出講。ずっと江戸後期、弘化4年の尾張か三河の学者のような方の日記を読んでいる。記主が誰かわからない。でも同時代の名士っぽい人が出てくる。そこから突破口がほしいところ。

 やっと事実がみつかった。何度か出てくる「県令、馬場九八郎」が尾張徳川家家臣とわかった。徳川林政史研究所蔵の「藩士名寄」という家臣記録にその履歴があった(同所ホームページによる。Tさんの発見・翻読)。

 県令は代官の意だが、太田代官や佐屋代官などを歴任していた。まちがいない。すばらしい。

 終了後、大谷大学に出講。本日は巡検。前回以前に話題にした、後花園上皇の火葬塚および大応寺をふくむ寺之内地区。20名ほどの熱心な学生さん。

 それから木屋町へ。ある事情で御池上ルの「大村益次郎遺址」標石を再確認するため。たまたまその前で、やはりある事情で連絡をとりたいと思っていた方とばったり会う。さっそく事情説明。本日はブツを持参していない。日を改めてブツを前に議論する約束をした。

 そのあと供養のため、池田屋跡の飲み屋に行って、一人でいつぱい飲む。たまたま隣りの若い女性客3名が「池田屋」の読みのイントネーションを話題にしていたところ、そこで「なかむらたけお」の名が登場する。

 たまたま居合わせたまったく未知の方が、自身の話題をされる。なんともいえない気分。かならずしもいやな思いではなく、むしろ襟を正す思い。

 急いで帰って、おふろに参加。

 夜、講談社メルマガの「本気で考える池田屋事件」最終回が公開される。池田屋事件の日に最終回公開ですか。なんてすばらしいロケーション。なんてすばらしい。

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2011.07.08

「池田屋事件」最終回、アップされました

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 「本気で考える池田屋事件」最終回、アップされました。ぜひご覧ください(講談社メルマガ・現代新書カフェ)。http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=35

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京都新聞に鷹ヶ峰薬園跡石碑が載る

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 昨日の京都新聞朝刊(地域プラス欄<20面>)に、鷹ヶ峰薬園跡の石碑と解説板が設置されたこと掲載されました。

 カラー写真でありがたいです。

 残念ながらネット新聞には載らなかったようですね。

 沢田亮英記者に感謝いたします。こちらの思いを理解くださり記事に反映くださいました。

Cce20110708_00000

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本日は池田屋事件の日

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 本日7月8日は、元治元年(1864)では6月5日にあたります。

 すなわち本日は池田屋事件の日です。

 本年の感慨は、例年にくらべて格別です。

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2011.07.04

「池田屋事件」総タイトルの公開

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 これまでの池田屋事件の連載に便宜的にタイトルをつけたものを公表します。調べたら原稿用紙約500枚ありました。新書300ページぐらいになるだろうか。講談社メルマガでの実際の回数や公開年月日とあわないものがありますが、気になさらないでください。

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第1章  古高俊太郎の「発見」

第1回 なぜいま池田屋事件なのか 2007.5

第2回 実証性のない古高俊太郎伝 2007.6

第3回 発見されたる古高俊太郎の供述書 2007.7

第4回 古高俊太郎は毛利家の遠縁にあたるか 2007/8/

第5回 供述書はホンモノだった 2007/8/

第6回 金沢で古高俊太郎関係文書みつかる 2007//

第7回 政変から池田屋直前までの書翰群だった 

第8回 書翰群と書付写を補完しつつ古高伝をつくる 2007/10/31

第9回 古高父子と梅田雲浜 2007.11.29

第10回 古高父子は山科毘沙門堂門跡の非常勤職員だった 2007.12.20

第11回 和宮降嫁と古高兄妹 2008.1.31

第12回 山科毘沙門堂慈性法親王の上洛・離洛 2008..29

第13回 湯浅五郎兵衛と古高 2008.3.30

第14回 桝屋喜右衛門家と真町文書 2008..24

第15回 古高入家以前の桝屋喜右衛門家の混乱 2008..1

第2章  池田屋事件への政治過程

第16回 桝屋喜右衛門相続のころの幕末政局 2008..

第17回 八月十八日政変 2008..1

第18回 諸侯へ檄をとばす三条実美 2008..1

第19回 ふたたび政権をにぎる正義党政府 2008.1.

第20回 古高俊太郎、長州屋敷と接触する 2008.1.3

第21回 大高又次郎論 

第22回 古高俊太郎の志士活動 200.1.5

第23回 池田屋事件への道―いかにして「進発」に及んだか 

第24回 出師三策と来島又兵衛―池田屋事件への道2 200..

第25回 参預会議と長州征討―池田屋事件への道3

第26回 参預会議解体と国司信濃上京延期―池田屋事件への道4 200..

第27回 元治国是と世子進発決定―池田屋事件への道5 200.8.31

第28回 栂尾会議の再検討―池田屋事件直前 200.10.15

第3章  池田屋事件おこる

第29回 古高俊太郎の逮捕 2009.12.1

第30回 新選組、会津へ出動を要請 2010.1.6

第31回 乃美織江の手記の検討 2010.1.31

第32回 当夜、長州屋敷には誰がいたのか 2010.3.3

第33回 吉田稔麿の動き 2010.4.1

第34回 新選組、池田屋に入る 2010.6.4

第35回 池田屋での戦闘 2010.6.21

第36回 池田屋には誰がいたのか 2010.6.28

第37回 会津・桑名の動き 2010.7.5

第38回 杉山松介の受難 2010.7.20

第39回 吉田稔麿は杉山松介と同行したか 2010.7.26

第40回 吉田稔麿の最期 2010.8.2

第41回 池田屋で受難した人たち 2010.8.9

第42回 新発見の野老山吾吉の調書の内容 2010.9.2

第43回 見落とされていた野老山吾吉の調書 2010.9.6

第44回 藤崎八郎の調書もあった 2010.9.14

第45回 襲われた坂本龍馬らの居所 2010.9.20

第46回 池田屋集会者は蝦夷開拓メンバーか2010.10.4

第47回 大高宅は数十人の壮士による「革具足製造所」か 2010.10

第48回 池田屋襲撃当夜の各所での逮捕者2010.11.2

第49回 西川耕蔵の逮捕 2010.11.30

50回 松田重助の逮捕 2010.12.24

51回 三縁寺の埋葬者は何人か 2011/02/01

52回 長州毛利家は洛東霊山に遺体を葬った 2011.3.2

53回 三縁寺発掘の疑問を解く 2011/04/12

54回 6月6日以後の浪士追捕 2011/04/27

最終回  禁門の変をへて事件解明へ 2011/06/30

以上

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2011.07.02

【講座】修正・御土居堀を考える講座

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○次回の御土居堀を考える講座のお知らせです(修正いたしました)。

「御土居の袖」を南下する

講師:中村武生(歴史地理史学者、立命館大学・京都女子大学など非常勤講師)

日時:2011年7月23日()午後1時~午後3時ごろ JR山陰線「円町」駅改札集合

受講料:1回500円(予約不要。集合場所でお支払いください)

参考文献:中村武生『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)

≪今後の予定≫

<坐学>7月30日(日)午前12時30分~午後1時40分 会場:キャンパスプラザ京都・

5階第3・4演習室 ※テーマ 幕末の首都防衛―禁門の変と御土居堀

<巡検>8月7日(日)午後1時~午後3時ごろ JR山陰線「円町」駅改札集合

行き先: 「御土居の袖」から蛤御門をめざす

<坐学>8月13日(土)午前12時30分~午後1時40分 会場:キャンパスプラザ京都・

5階第3・4演習室 ※テーマ 御土居堀の解体過程・その2

<坐学>8月27日(土)午前12時30分~午後1時40分 会場:キャンパスプラザ京都・

5階第3・4演習室 ※テーマ 御土居堀の解体過程・その3

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主催:京都御土居堀研究会

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