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2011.06.24

事実が極少な養源院の解説

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6/23(木)はれ

 午前中、北区鷹峯へ。

 京都新聞の澤田記者から、先日建設した鷹ヶ峰薬園跡の副碑の取材をうける。

 午後から七条京阪へ。おなじく京都新聞文化センターの巡検。「江」ゆかりの地、大仏地区に入る。担当Y田Mどりさんのお世話で、江の墓参が実現した。

 養源院はとても意味深い寺と思っている。もっと深めるべきなのだが、残念なことに寺の方のたくさんご説明のなかには、おそろしいぐらい事実が少なかった。

 江の母、織田市の墓なるものにもまいったが、市のものだとする根拠は皆無である。

 ちなみに茶々や江と伝承される肖像画も(特別公開中)、そのものに何らの記載はなく、事実とは思いにくいと感じた。

 秀頼像だけは法号が記載されているので、可能性はあると思う。ただそれもいつ記されたものかが明らかでない以上、疑おうと思えばいくらでもできた。

 血天井はさっぱりわからない。

 養源院はいちど、事実だけを集めて寺史をまとめなおされた方がよい。大事な事実は多く見落とされ、根拠希薄なネタを使って語られている。実にもったいないと思った。

 辞去ののちは、一旦豊臣鶴松の墓所祥雲寺跡(つまり智積院)で喫茶し、豊国社跡をあるく。秀吉の墓である。

 いま京都女子学園への通学路となっている通称「女坂」は、もと豊国社の参道で、江戸時代には「豊国道(とよくにみち)」と呼ばれた。

 その道をとおり、社殿跡にたっす。埋葬地には行かず(階段がすごいから)、ふもとの京極龍と豊臣国松の墓参をして、京都女子学園のプリンセスラインバスの停留所で解散した。

 これで今回の講座は終わりです。ありがとうございました。次回講座もまたよろしくお願いいたします。

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