楢崎龍の誕生日は6月6日でよいか
※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします なかよしの「りょうこ」さんが、本日は龍馬の妻楢崎龍の誕生日ではないかとつぶやいた。
そこでつぶやき返す。
龍馬の死後、楢崎龍は西村松兵衛と再婚した。その戸籍に、たしかに嘉永3年6月6日生まれとある。現暦では1851年7月14日にあたる。
ただし嘉永3年生まれは、明らかに詐称である。龍馬の手紙によれば慶応2年12月4日(1867年1月9日)段階で、彼女は数え「廿六歳」である(宮地佐一郎『龍馬の手紙』220ページ、PHP文庫)。
嘉永3年であれば、15歳である。妹ふたりの動きを想起すれば、ありえない。
龍馬が記す数え「廿六歳」が正しければ、天保12年(1841~42年)生まれである。
ただし龍馬は、慶応元年9月9日(1865年10月28日)段階で、彼女は数え「二十三」歳としている(宮地佐一郎『龍馬の手紙』112ページ、PHP文庫)。
だから龍馬の記載はあまり信用できないのだが、彼女の墓碑銘など別の史料と照合し、天保12年生まれを信じたい。
で、ワルノリして天保12年の6月6日生まれとすれば、1841年7月23日生まれとなる。
が、もちろん冗談である。年をごまかした人物が、日だけ正確さを維持した保証はない。
楢崎龍の誕生日は不明とすべきです。厳密にいえば、誕生年の天保12年も確実ではない。
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