大政奉還直前の近江屋に「梅椿図」があってよいか
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大政奉還直前の近江屋に「梅椿図」があった。
殺害の日に作者板倉筑前介が龍馬に与えたという話がある。が、これは必ずしも使える史料を典拠としない。淡海槐堂(板倉筑前介)の伝記「淡海槐堂先生畧伝」の欄外にすらそういった記載はない。
外孫にあたる江馬務(風俗史家)が、自身の家系を記したもの(『江馬家と私を語る』)にあるていどだ。
「梅椿図」に「丁卯之晩秋」の一言がある。「晩秋」は旧暦9月だから、慶応3年10月13日(1867年11月8日)なら矛盾はない。そこまで検証して放映していたならすごいね。でも「言い逃れ」であって、誠実な姿勢とはいいにくい。
「船中八策」は存在しないんやからね。それを「九策」って、どう処理すんの。
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