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2011.06.30

池田屋事件連載、最終原稿提出!

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 昨夜、池田屋事件の連載最終回原稿、ついに完成。今朝、手から離れた。

 担当様、ながい間ご迷惑をおかけ致しました。

 引き続き出版への完成原稿へ、お世話をおかけ致します。

 掲載は7月初旬予定です。講談社メールマガジンです(現代新書カフェ)。もちろん出版予定場所は、講談社現代新書です。年内刊行を願っております。

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2011.06.28

九条御土居とはなんぞや

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6月26日(日)くもり1時小雨

 御土居堀跡巡検に出る(主催:京都御土居堀研究会)。JR京都駅に集合し西行、油小路を南下する。九条通でまた西行。東寺西側での屈曲の意味を論じる。すこしずつ豊臣期惣構論はレベルアップしている。牛歩なのだが。

 東寺門前を西行していると、前方に「九条御土居」なる表示をみつける。たいへん驚く。なんだこれは、しらんぞ(写真)。

 御土居や堀が残存しているわけではない。「国土交通省」とあるから、道路の交差点名と理解するほかない。それにしてもあまりにマニアック。

 で、きづいたのはそのポイントはちょうど御土居堀跡南西隅の南で、東隣接の南北道路を地元では「御土居通り」とよぶこと。

 つまりこのポイントは、九条通と御土居通の交差点、あ、だから「九条御土居」か。

 20年ちかく前、「大宮御土居」バス停留所がなくなって残念におもった。へることはあっても増えるなんて思ってもみなかった。ふえるなら、それは中村武生のしわざ。今回は中村武生はかかわっていない。

 感激をこめて明記。

 なお巡検は八条通まで北上し、JRの線路にじゃまされてそこで断念。つづきはまたいつか。

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2011.06.26

芹沢鴨と太田浩司さんとあそぶ

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6/25(土)はれ
 名古屋市に向かう。
 栄中日文化センターの新選組講座に出講のため。
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 途中、JR山科駅で、人身事故により京都・大阪駅間が運行中止としる。えらいこっちゃ。大阪へ向かうのでなくてよかった。
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 本日の新選組講座は、芹沢鴨と大和屋事件でした。
 芹沢鴨が大和屋を焼き討ちしたのは事実ではない、大坂の相撲取りとのケンカも芹沢や壬生浪士が一方的に悪いとはいえない、なんてことをいいました。
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 来週もあります。次回は八月十八日政変と芹沢鴨殺害です。
 通説否定に挑戦してみます。
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 たまたま本日、長浜城歴史博物館の太田浩司さんが栄中日文化センターに出講しておられる。まちぶせをする。
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 太田浩司さんは、今年のNHK大河ドラマ「江」の「資料提供」者である。毎週ドラマのオープニングに名前が掲示されている。
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 帰路、こだまでご一緒する。たくさんたくさん超タブーのお話をする。たのしいたのしい1時間であった。

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2011.06.24

事実が極少な養源院の解説

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6/23(木)はれ

 午前中、北区鷹峯へ。

 京都新聞の澤田記者から、先日建設した鷹ヶ峰薬園跡の副碑の取材をうける。

 午後から七条京阪へ。おなじく京都新聞文化センターの巡検。「江」ゆかりの地、大仏地区に入る。担当Y田Mどりさんのお世話で、江の墓参が実現した。

 養源院はとても意味深い寺と思っている。もっと深めるべきなのだが、残念なことに寺の方のたくさんご説明のなかには、おそろしいぐらい事実が少なかった。

 江の母、織田市の墓なるものにもまいったが、市のものだとする根拠は皆無である。

 ちなみに茶々や江と伝承される肖像画も(特別公開中)、そのものに何らの記載はなく、事実とは思いにくいと感じた。

 秀頼像だけは法号が記載されているので、可能性はあると思う。ただそれもいつ記されたものかが明らかでない以上、疑おうと思えばいくらでもできた。

 血天井はさっぱりわからない。

 養源院はいちど、事実だけを集めて寺史をまとめなおされた方がよい。大事な事実は多く見落とされ、根拠希薄なネタを使って語られている。実にもったいないと思った。

 辞去ののちは、一旦豊臣鶴松の墓所祥雲寺跡(つまり智積院)で喫茶し、豊国社跡をあるく。秀吉の墓である。

 いま京都女子学園への通学路となっている通称「女坂」は、もと豊国社の参道で、江戸時代には「豊国道(とよくにみち)」と呼ばれた。

 その道をとおり、社殿跡にたっす。埋葬地には行かず(階段がすごいから)、ふもとの京極龍と豊臣国松の墓参をして、京都女子学園のプリンセスラインバスの停留所で解散した。

 これで今回の講座は終わりです。ありがとうございました。次回講座もまたよろしくお願いいたします。

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2011.06.23

浜野潔先生『歴史人口学で読む江戸日本』拝受

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 昨日、以下の書籍を拝受した。拙著もご紹介いただいた(118ページ、200ページ)。記して御礼申し上げる。

 一、浜野潔さんから

 浜野潔氏『歴史人口学で読む江戸日本』、吉川弘文館、2011年7月、1,785円

以上

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聚楽城と禁門の変を講ずる

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6/22(水)はれ

 毎日、夜泣きがひどい。

 午前中、京都女子大学に出講。聚楽城と武家地のおはなし、やっと終わる。

 午後から、よみうり文化センターに出講。こちらは禁門の変を講ずる。次回は天王山巡検。

 終了後、受講者の一部と懇親。いろいろ大笑い。楽しいこと。そのあとさらにM本Iくえ法人理事と打ち合わせ。

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2011.06.21

京の七口と龍馬を講じた

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6月19日(日)はれ

 午前中は育児参加。

 午後からいつものキャンパスプラザ京都で、いつもとちがう講座に出講。「京の七口」を論じた。140人もの受講のみなさん、とてもたくさん笑ってくださり、気持ちよく終わらせました。誠にありがとうございました。

 夕方から、木屋町六角の「龍馬」で龍馬講座。本日は、文久2年秋(1862年)から翌文久3年1月末まで。三条実美・姉小路公知の攘夷別勅使派遣や、清河八郎による浪士組組織のなかで龍馬を位置づけてみた。

 終了後は、受講者坂本さんだけが残られたので、ご一緒に歓談する。坂本さんには開始前においしいコーヒーをごちそうになりました。ありがとうございました。

 その後、おだやかでマナーのよいお客さんからいろいろ尋ねられたので、ご質問にお答えした。いつもは私的な場ですので応じないのですが。珍しいといわれました。ほんとうにね。

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2011.06.19

池田屋事件もうすこし

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6/18(土)あめ

 事情あって、「史蹟でまなぶ京都の歴史」講座延期。

 午後から洛中研究室で「池田屋」にたちむかう。完成させたかったが、できず。

 関東から担当Y田K人さん、上洛。ここまでの原稿をお渡しする。とどめをさせなかったのは悔しいが、経過をお伝えできてよかった。

 帰途、すこしだけ木屋町六角の「龍馬」に寄る。そういえば、明日ここで仕事だ。

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2011.06.17

名古屋へ

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6月16日(木)あめ

 池田屋事件戦死者菩提寺、三縁寺の発掘紀念日。1979年の本日発掘開始。

 午後から名古屋市へ。栄中日文化センターに出講。「日本の城と合戦」および「京都学」。どっちも龍安寺がキーになる。

 いつもながら聞き上手の受講者に支えられました。ありがとうございます。

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2011.06.15

鷹ヶ峰薬園跡の副碑除幕式おわる

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 本日、鷹ヶ峰薬園跡の副碑の除幕式が無事おわりました。

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 寄付者故山田真さん、および母上山田まり子さんにまず御礼もうしあげます。

 またゲストに、薬園医官藤林道寿の子孫(13世)、藤林惟泰さんがおこしくださったことは花をそえていただきました。藤林惟泰さんありがとうございました。仲介下さった松宮孝造さんにも御礼もうしあげます。

 土地を提供下さったセブンイレブンさま、無理をたくさん聞いてくださった石屋さん、お世話になったみなさんに感謝申し上げます。

 そうそう、山田まり子さんは、懇親会費も全額もってくださいました。あつく御礼申し上げます。

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鷹ヶ峰薬園跡の副碑の除幕式ですよ

 6月14日(火)はれ

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 鷹ヶ峰薬園跡の副碑(解説板)が建ちました。

 石碑が建ったのは昨年11月でしたから、半年以上たってしまいました。

 写真はちょうど建ったところです。

 本日6月15日(水)午後1時、除幕式です(現在は布で隠しております)。

 どうぞおこしください(無料)。

  場所:京都市北区鷹峯藤林町、セブンイレブン

 寄付者は、故山田真さんです。

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2011.06.14

高著・玉稿を賜りました

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 次の高著・玉稿を賜りました。ありがとうございます。記して謝意を表します。

 ●岸本覚さんから

  一、岸本覚氏「安政・文久期の政治改革と諸藩」(青山忠正氏・岸本覚氏編『講座明治維新』2所収、有志舎、2011年)

 ●藤田正さんから

  一、四国地域史研究連絡協議会編『四国の大名―近世大名の交流と文化』、岩田書院<ブックレット>、2011年4月

 ●桃崎有一郎さんから

  一、桃崎有一郎氏「観応擾乱・正平一統前後の幕府執政『鎌倉殿』と東西幕府」(『年報中世史研究』第36号、中世史研究会、2011年)

  一、遠藤珠紀氏・須田牧子氏・田中奈保氏・桃崎有一郎氏「綱光公記―享徳三年暦記―」(『東京大学史料編纂所研究紀要』第21号、2011年3月)

 ●吉岡拓さんから

  一、吉岡拓氏『十九世紀民衆の歴史意識・由緒と天皇』、校倉書房、2011年5月

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2011.06.13

池田屋事件いろいろやってきた

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 池田屋事件おおづめで、発見があいついでいます。

 おもしろいですね。やってくるのですね。

 大高又次郎と藤崎八郎の埋葬地、さがしてました。記したものがありました。正しいかどうかはこれからです。しかしこれまでまったく知られてなかったものですから、意義はとても深い。

 大高もよくわかりませんでしたが、兄が大高の播磨林田での身分まで記していました。実態がわかります。

 西川耕蔵の店の主家の子孫の妻が、西川太治郎に語っていました。夫が深い関係にあったこと、西川の娘のめんどうをみていたことなど、ほんとうかうたがってました。その人の上申書がありました。ほんとうだったのです。ばかにできません。

 拙著に活かせるかはともかく、心は豊かです。なにもわからなかったのが、とてもよくわかってきました。

 池田屋事件ってなんだったのか、やっとわかってきた気がします。うれしいです。

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2011.06.12

維新史学会2日目

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明治維新史学会大会2日目。

 参加自由。関係者苦労する。

 さあどうしよう。なんとでもなる。ありがたい。ありがとうございます。

 次は11月。宮島でよろしくお願いいたします。

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2011.06.11

明治維新史学会に来ています

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 明治維新史学会の大会がありましたので、関東に下っております。

 千葉県浦安市の明海大学が会場です。

 藤田覚先生のご講演を拝聴いたしました。先生の『幕末の天皇』(講談社選書メチエ)を愛読した一人です。藤田先生の口から「院」から「天皇」へ・・のお話が聴けて、感激でした。

 今夜は同県八千代市の旅宿におります。

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2011.06.10

「徳川時代公儀鷹ヶ峰薬園跡」の副碑除幕式のお知らせ

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 お待たせいたしました。
徳川時代 公儀 鷹ヶ峰薬園跡」の副碑除幕式のお知らせです。
 日時:2011年6月15日(水)午後1時~
 場所:セブンイレブン京都鷹峯藤林店東側(京都市北区鷹峯藤林町、市バス鷹峯上ノ町停留所ちかく)
参加自由

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大政奉還直前の近江屋に「梅椿図」があってよいか

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 大政奉還直前の近江屋に「梅椿図」があった。

 殺害の日に作者板倉筑前介が龍馬に与えたという話がある。が、これは必ずしも使える史料を典拠としない。淡海槐堂(板倉筑前介)の伝記「淡海槐堂先生畧伝」の欄外にすらそういった記載はない。

 外孫にあたる江馬務(風俗史家)が、自身の家系を記したもの(『江馬家と私を語る』)にあるていどだ。

 「梅椿図」に「丁卯之晩秋」の一言がある。「晩秋」は旧暦9月だから、慶応3年10月13日(1867年11月8日)なら矛盾はない。そこまで検証して放映していたならすごいね。でも「言い逃れ」であって、誠実な姿勢とはいいにくい。

 「船中八策」は存在しないんやからね。それを「九策」って、どう処理すんの。

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2011.06.09

サイテーの幕末史理解、JIN―仁―

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 去る6月5日(日)放映の「JIN―仁―」をみたが、劣悪だった。

 幕末政治史がまったく理解できていない。あれは知への犯罪です。あのようなものに苦情がないから、無教養な物書きが生きていけるのです。視聴者がもっと賢くならないといけないと思います。

 薩摩関係者や中岡慎太郎との龍馬の会話、恥を知るべきです。大政奉還や龍馬殺害にいたる政治史理解は最低クラス。

 正確な歴史事実をえる努力をおこたる人は、歴史モノにかかわる資格はない。

 研究者の責任も大きいでしょう。もっともっと平易な書籍を刊行してくるべきでした。無恥な書籍を駆逐する努力がなさすぎたと思います。

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2011.06.08

桐野作人さん著『江の生涯を歩く』の書評、載ってたんや

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 桐野作人さん著『江の生涯を歩く』(KKベストセラーズ、2011年、819円)の『京都新聞』の書評、6月2日(木)に載ってたんや。

 いつ載るか気になってた。そうか、載ってたんか。古新聞整理で気づいた。

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先日の池田屋事件祥忌法要、新聞に載りました

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 去る6月4日、京都市左京区岩倉花園町・三縁寺で行われた、池田屋事件の祥忌法要は、本日の京都新聞朝刊(17版・22面・地域プラス)に載りました。

 カラー写真を入れてもらえました。担当記者仲屋聡さんに感謝いたします。

 石田孝喜先生、「金子重輔」さん、名古屋の受講者Iさん・Sさん・Fさん、それと僕なども写真に映っていました。

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高著・玉稿を拝受いたしました

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 以下の高著・玉稿を賜りました。ありがとうございます。

 記して謝意を表します。

 ●天野忠幸さんから

  一、天野忠幸氏「蜂須賀家政の徳島城築城をめぐって」(『戦国史研究』第61号、2011年2月)

  一、天野忠幸氏「荒木村重と織田政権」(『地域研究いたみ』第40号、2011年3月)

  一、天野忠幸氏「戦国期における三好氏の堺支配をめぐって」(『堺市博物館報』第30号、2011年3月)

 ●家近良樹さんから

  一、家近良樹氏『西郷隆盛と幕末維新の政局―体調不良問題から見た薩長同盟・征韓論政変』、ミネルヴァ書房、2011年5月

 ●玉城玲子さんから

  一、原田正俊氏編『天龍寺文書の研究』、思文閣出版、2011年3月

 ●津田卓子さんから

  一、津田卓子氏「資料紹介 八曲一隻 洛中洛外図屏風について」(名古屋市博物館『研究紀要』第34巻、2011年)

  一、名古屋開府四〇〇年『変革のとき 桃山』展図録、名古屋市博物館、2010年

 ●徳安浩明さんから

  一、徳安浩明氏「高校地理教育における村落学習の課題と展望」(『新地理』第58号第2号、日本地理教育学会、2010年8月)

  一、徳安浩明氏「北海道の村落に関する学習内容の改善―屯田兵村の多様性と殖民地区画」(『地理教育研究』№8、全国地理教育学会、2011年3月)

 ●藤田英昭さんから

  一、東京都江戸東京博物館都市歴史研究室編『勝海舟関係資料 海舟日記』(五)、2011年3月、江戸東京博物館史料叢書

 ●山田邦和さんから

  一、山田邦和氏「歩いて楽しむ京都の歴史」37~57、『中日新聞』など掲載、2010年12月~2011年4月

 ●横田冬彦さんから

  一、藤井譲治氏編『稿本・織豊期主要人物の居所と行動』、私家版、2009年6月

 ●渡邊大門さんから

  一、渡邊大門氏『戦国誕生―中世日本が終焉するとき』、講談社(現代新書)、2011年5月

(2011年6月8日拝受分まで)

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2011.06.06

楢崎龍の誕生日は6月6日でよいか

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 なかよしの「りょうこ」さんが、本日は龍馬の妻楢崎龍の誕生日ではないかとつぶやいた。

 

 そこでつぶやき返す。 

 龍馬の死後、楢崎龍は西村松兵衛と再婚した。その戸籍に、たしかに嘉永3年6月6日生まれとある。現暦では1851年7月14日にあたる。

 ただし嘉永3年生まれは、明らかに詐称である。龍馬の手紙によれば慶応2年12月4日(1867年1月9日)段階で、彼女は数え「廿六歳」である(宮地佐一郎『龍馬の手紙』220ページ、PHP文庫)。

 嘉永3年であれば、15歳である。妹ふたりの動きを想起すれば、ありえない。

 龍馬が記す数え「廿六歳」が正しければ、天保12年(1841~42年)生まれである。

 ただし龍馬は、慶応元年9月9日(1865年10月28日)段階で、彼女は数え「二十三」歳としている(宮地佐一郎『龍馬の手紙』112ページ、PHP文庫)。

 だから龍馬の記載はあまり信用できないのだが、彼女の墓碑銘など別の史料と照合し、天保12年生まれを信じたい。

 で、ワルノリして天保12年の6月6日生まれとすれば、1841年7月23日生まれとなる。

 が、もちろん冗談である。年をごまかした人物が、日だけ正確さを維持した保証はない。

 楢崎龍の誕生日は不明とすべきです。厳密にいえば、誕生年の天保12年も確実ではない。

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2011.06.05

池田屋事件戦死者祥忌法要に参加した

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 昨日、左京区岩倉花園町三縁寺で、例年の池田屋事件戦死者祥忌法要が行われた。

 近年例をみない、約30名もおこしになった。ほとんど中村武生の受講者か、京都龍馬会メンバーだった。ありがたいこと。遠くは名古屋市、横浜市などからご参加だった。みなさまに感謝いたします。

 石田孝喜先生が2年ぶりにおこしになる。本年87歳(1924年=大正13年生まれ)、実にお元気でした(奥様が本年1月に亡くなられている)。

 大高忠兵衛子孫の大高勝美さんも例年のごとくお越しで、今年は拙著のからみもあるので(お送りしたい)、少しお話をさせていただいた。

 来年の6月4日は日曜日なので、もっとお越しくださることだろう。

 昨年住職が交代した。新住職になられて2回目の法要。今回、読経が実に評判がよかった。

 京都新聞記者(仲屋聡さん)が取材にこられていた。6月8日(水)か9日(木)の紙面に載せていただける由です。

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2011.06.02

縄文時代をかたる

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 NHK文化センター京都教室に出講する。

 「もう一度まなびたい!日本史」の第二回目。

 縄文時代。大森貝塚(東京都)と大串貝塚(茨城県)を熱弁した。専門外であろうが関係ない。高校日本史レベルのはなしをするだけ。

 次回は弥生時代。森本六爾と唐古遺跡(奈良県)、登呂遺跡(静岡県)だな。

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2011.06.01

池田屋事件最終回になやむ

 池田屋事件最終回になやむ。

 なやんでいるのである。

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