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2011.05.27

大津城跡をあるき伏見城遺構三重塔をみる

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5月26日(木)くもり

 京都新聞文化センター「江」講座の巡検で、大津城跡をあるいた。

 大津城は関ケ原合戦直前、京極高次の居城だった。江の姉初の夫である。ここが関ケ原合戦直前、毛利勢約1万に攻撃される。そのとき初もいた。京極高次の姉妹龍(京極龍子、松の丸殿)もいた。大河でもかならずこのシーンはあるだろう。

 あるくに『図説大津の歴史』上に収録された復元案をつかわせていただいた。

 近世の大津町はほとんどが旧大津城域にあたる。近世の大津代官所跡も大津城本丸跡である。

 過去の発掘調査のあった場所や堀跡推定地を中心にあるく。現存石垣とされる場所にも立ち寄った。曳山展示館の東隣地。復元案では三の丸の堀にあたる。これが正しいといえるかを検証したりした。

 その後、園城寺を参拝した。大津城と直接関係ないが、「園城寺古記」に大津攻城戦の記載がある。真横であるから、状況次第では巻き込まれる危険があった。

 それはともかく、園城寺三重塔に関心があってきた。園城寺三重塔は旧比蘇寺の塔で一旦伏見城に移され、徳川初期に家康によって園城寺におさめられたと「園城寺古記」は記す(『園城寺記録』24ページ)。

 前回、伏見城跡(指月地区)をあるいたときにその話題をした。名古屋市博物館が昨秋公開した「洛中洛外図屏風」にその三重塔と思われるものが描かれていたとご紹介した。

 それゆえ今回園城寺に立ち寄ったというわけ。

 みるべきものが多数ある。時間がないのでそのほとんどに目をくれず、三重塔まであがった。その地の解説板に伏見城から移築したと記されていない。拝観料を支払っていただいたペーパーにもない。実に惜しいことだ。史料で裏付けられる、豊臣期伏見城の数少ない遺構といえるのに。

 なお仁王門(大門)も同時期に伏見城から移されたと、これは解説板に記載されていた。もとは甲賀郡の常楽寺のものだったとある。

 たしかに「園城寺古記」にも、「甲賀西寺楼門、内府様より三井寺へ寄付」とある(『園城寺記録』24ページ)。が、伏見城から来たとは記さない。これはどういうわけか。

 三重塔は伏見城遺構といえるが、仁王門はそうではないかも知れない。

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