池田屋事件に彦根井伊家は出兵していました
※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。 昨年7月更新の講談社メルマガ「本気で考える池田屋事件」(連載37回?)で、元治元年6月8日(1864年)付佐藤彦五郎など宛近藤勇書翰に、池田屋襲撃の夜彦根も出兵したとある点を疑い、事実ではなかろうと記しました。
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が、その後、「彦根家譜」第4冊に以下の記載があることを知り、見解を改めました。
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「五日夜、洛中故ナク騒擾。京師戒厳。在京家臣、所司代指揮ヲ得テ、三条・五条・伏見等ノ所ニ備フ。猶彦根ヨリ兵ヲ出シテ京師ヲ守ラシム」
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【意訳】「(元治元年6月)5日夜、洛中が理由なく騒擾となった(池田屋事件)。京都は戒厳状態となった。在京の(井伊家の)家臣は京都所司代の指揮を受けて、三条通や五条通、伏見などに備えた。なお(その後)彦根からも兵を招き京都を守った」。
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しかし「彦根家譜」に気づく以前に、同年8月13日付村上信太郎宛大塚頼之丞書翰を知っていたわけだから、これに彦根の出兵は明記してある(『忠義公史料』3巻、337~340ページ)。
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なんとどんくさいことであるか。恥じて訂正します。
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いや実は5年もの連載なので、あとから誤りに気づいたことはこれだけではない。かなりある。それをいちいち列記できない。
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書籍刊行のおりに気づいた点はすべて正しますのでそれでお許しください。
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