« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011.05.29

イベント延期のお知らせ

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします 

 緊急のご連絡です。

.
 本日の「中村武生とあるくマニアな幕末史蹟」ですが、台風接近中のため(午前8時25分現
在、京都市内に大雨警報が出ています)、延期いたします。
.
 振替日は本年7月10日(日)です。集合場所・集合時間・コースなど変更はありません。

 7月10日(日)の参加をご希望される場合は、あらためてご連絡下さい。
.

 どうぞよろしくお願いいたします。

※本日11時25分までに、参加希望の方全員と連絡がつきました。ご協力ありがとうございました。

|

2011.05.27

大津城跡をあるき伏見城遺構三重塔をみる

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします 

5月26日(木)くもり

 京都新聞文化センター「江」講座の巡検で、大津城跡をあるいた。

 大津城は関ケ原合戦直前、京極高次の居城だった。江の姉初の夫である。ここが関ケ原合戦直前、毛利勢約1万に攻撃される。そのとき初もいた。京極高次の姉妹龍(京極龍子、松の丸殿)もいた。大河でもかならずこのシーンはあるだろう。

 あるくに『図説大津の歴史』上に収録された復元案をつかわせていただいた。

 近世の大津町はほとんどが旧大津城域にあたる。近世の大津代官所跡も大津城本丸跡である。

 過去の発掘調査のあった場所や堀跡推定地を中心にあるく。現存石垣とされる場所にも立ち寄った。曳山展示館の東隣地。復元案では三の丸の堀にあたる。これが正しいといえるかを検証したりした。

 その後、園城寺を参拝した。大津城と直接関係ないが、「園城寺古記」に大津攻城戦の記載がある。真横であるから、状況次第では巻き込まれる危険があった。

 それはともかく、園城寺三重塔に関心があってきた。園城寺三重塔は旧比蘇寺の塔で一旦伏見城に移され、徳川初期に家康によって園城寺におさめられたと「園城寺古記」は記す(『園城寺記録』24ページ)。

 前回、伏見城跡(指月地区)をあるいたときにその話題をした。名古屋市博物館が昨秋公開した「洛中洛外図屏風」にその三重塔と思われるものが描かれていたとご紹介した。

 それゆえ今回園城寺に立ち寄ったというわけ。

 みるべきものが多数ある。時間がないのでそのほとんどに目をくれず、三重塔まであがった。その地の解説板に伏見城から移築したと記されていない。拝観料を支払っていただいたペーパーにもない。実に惜しいことだ。史料で裏付けられる、豊臣期伏見城の数少ない遺構といえるのに。

 なお仁王門(大門)も同時期に伏見城から移されたと、これは解説板に記載されていた。もとは甲賀郡の常楽寺のものだったとある。

 たしかに「園城寺古記」にも、「甲賀西寺楼門、内府様より三井寺へ寄付」とある(『園城寺記録』24ページ)。が、伏見城から来たとは記さない。これはどういうわけか。

 三重塔は伏見城遺構といえるが、仁王門はそうではないかも知れない。

|

2011.05.25

秀吉将軍論と縄手魚品のこと

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします 

 いつものように朝イチで京都女子大学に出講。豊臣公儀の首都論について講ずる。大坂から京都へ進む。

 秀吉は征夷大将軍になりたいのになれなかったのか、なれたけどならなかったのかの2説を紹介する。ようは両説とも決定打になる史料がないからもめる。

「多聞院日記」の記載内容を受け入れるか、伝聞として受け付けないか。「豊臣秀吉譜」を後世のものとして退けるか、ウソをつく理由がないと受け入れるか。わからんねぇ。

 午後からよみうり文化センター京都教室の巡検。新選組講座。今回は池田屋事件をあるく。

 縄手四条上ル東側の長州の御用達「魚品」があまりに知られていない。建碑されていないからか。もっと顕彰が必要と思った。

 魚品も池田屋の夜、新選組をふくむ会・桑に踏み込まれた。たまたまいた長州屋敷役人木村甚五郎(源蔵)が久坂義助と誤って逮捕された(乃美織江の手記)。

 この巡検のさなか、大ミスをした。結果、なにごともなかったのだが、みなさんにご迷惑をおかけした。感謝もしている。受講者にかわいがっていただいて本日も生きていると実感した。

 短い懇親会を行い、楽しく終わる。

|

2011.05.24

惣構ってなんだっけ

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします 

昨日、立命館大学で(「洛中惣構(そうがまえ)」=御土居堀)の意味を問うなかで安土の「惣構のどて」を論じたが、ここまでの研究、論点がずれてきている感をうけた。

 なぜ惣構はつくられなければならなかったのか、僕の理解が狂っているのか、そうでないのか。

 小島道裕・仁木宏両博士の論文など、もういちど読み直しだな。

|

2011.05.23

新選組関係書籍、拝受

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします 

 以下の書籍を拝受いたしました。記して謝意を表します。

 一、かれんさんから

  ●かれん『歳三 梅いちりん―新選組吉原異聞―』上・下、集英社、2009年7月

 一、結城詩さんから

  ●星亮一+戊辰戦争研究会編『新選組を歩く』、光人社、2011年5月

以上

|

大津から浪士組上洛ルートをあるく

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします

 午前中大雨だったが、開始時間にはやんでいた。実にありがたい。

 文久3年2月(1863)の浪士組上洛ルートをあるく、ということで、東海道をあるいている。今回は近江大津宿から越境して山城山科まで。

 各所で幕末以前の銘のある石造物(道標、常夜灯)をみつけ、浪士組がふれたであろう、みたであろうと想像しながら進む。

 大津代官所跡や山科毘沙門堂ちかくを通り、その都度古高俊太郎のお話をする。

 次回は本年5月29日(日)午後1時から、集合地はJR山科駅改札です。三条大橋をめざします。まだ参加募集しております。ただし要予約ですので、ご希望の方は必ず事前ご連絡ください。

 昨日、「中村武生とあるく!マニアな幕末史蹟めぐり」2回目があった。午後1時、JR大津駅に集合。

|

2011.05.21

池田屋事件に彦根井伊家は出兵していました

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

昨年7月更新の講談社メルマガ「本気で考える池田屋事件」(連載37?)で、元治元年68日(1864年)付佐藤彦五郎など宛近藤勇書翰に、池田屋襲撃の夜彦根も出兵したとある点を疑い、事実ではなかろうと記しました。

.

が、その後、「彦根家譜」第4冊に以下の記載があることを知り、見解を改めました。

.

「五日夜、洛中故ナク騒擾。京師戒厳。在京家臣、所司代指揮ヲ得テ、三条・五条・伏見等ノ所ニ備フ。猶彦根ヨリ兵ヲ出シテ京師ヲ守ラシム」

.

【意訳】「(元治元年6月)5日夜、洛中が理由なく騒擾となった(池田屋事件)。京都は戒厳状態となった。在京の(井伊家の)家臣は京都所司代の指揮を受けて、三条通や五条通、伏見などに備えた。なお(その後)彦根からも兵を招き京都を守った」。

.

しかし「彦根家譜」に気づく以前に、同年813日付村上信太郎宛大塚頼之丞書翰を知っていたわけだから、これに彦根の出兵は明記してある(『忠義公史料』3巻、337340ページ)。

.

なんとどんくさいことであるか。恥じて訂正します。

.

いや実は5年もの連載なので、あとから誤りに気づいたことはこれだけではない。かなりある。それをいちいち列記できない。

.

書籍刊行のおりに気づいた点はすべて正しますのでそれでお許しください。

|

「御土居藪御支配」角倉与一を考えなおしてみた

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 本日、御土居堀を考える講座に出講した。

 

 角倉与一に関する、自身のこれまでの認識を大きく改めた内容となった。

.

 寛文9年(1669年)、角倉与一が「御土居藪御支配」を仰せ付けられたが、史料上「御支配」とあってもは必ずしも全権掌握したというわけではなく、

.

①東・西奉行も大きくかかわっていること(たとえば御土居藪の竹などの入札では、根帳に付ける地は角倉宅だが、「札被」は東奉行所で行われる<少なくとも元禄5年<1692年>から享保4年<1719年>>。『京都町触集成』1-42、1-104、1-1014、1-1036など。正徳4年11月<1714年~1715年>の御土居に関する禁止制札は、東・西奉行の名前で発令。角倉氏ではない。『京都町触集成』1-717)。

.

②しかも享保年間(享保7年か=1722年)からは所司代の藪方役人が加わっていること(『京都町触集成』1-1324、1-1447、『史料京都の歴史』上京区編「京極学区」53など)

.

などを指摘した。

.

 が、解任の寛政3年(1791)まではたしかに角倉与一は御土居関係史料上登場する(たとえば『史料京都の歴史』上京区編「京極学区」55・56など)。

.

 それはなぜなのかは保留にした。

.

 結論は出せなかったが、京都の近世都市史を理解するうえで、この問題はとても重要なことだと思っている。

|

2011.05.18

1930年の御土居堀報告のオリジナルを入手

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

203911_2

 本日、遅ればせながら『史迹と美術』第1号(史迹・美術同攷会、スズカケ出版部、1930年11月)が手に入った。感激だ。
 長かったなあ。求めてから。
 佐藤虎雄「史蹟に指定せられたる御土居」が掲載されているのだ。
 御土居堀の一部がはじめて国史蹟に指定された直後の報告文。感慨深い。
 もちろん復刻版ではない。オリジナル。
 さっそく掲載写真をスキャニング。そのうち何かの講演でお見せします。

|

2011.05.17

池田屋事件戦死者祥忌法要のお知らせ

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 池田屋事件戦死者祥忌法要のお知らせです。ぜひおこしください。
.
 日時:2011年6月4日(土)午後2時から
.
 場所:京都市左京区岩倉花園町606三縁寺(浄土宗)
. 
 行き方:地下鉄烏丸線「国際会館」駅下車
      京都バス「実相院行き」に乗車、「花園町」バス停下車、東へ徒歩3分。
.
 ※どなたでも参加できますが、マナーをお守りください。華美な服装はさける、数珠は持参する、わずかでも供養料をおさめるなど。
.
 ※新選組や坂本龍馬がお好きな方もぜひおこしください。新選組の活動の犠牲者です。龍馬の友人北添佶摩・望月亀弥太らの供養です(埋葬地ではないかも知れませんが)。よろしくお願いいたします。

|

2011.05.15

史跡でまなぶ濃密な京都の歴史のご案内(第2回以後)

史跡でまなぶ濃密な京都の歴史(第1期)のご案内(第2回以後)

 京都の歴史を、史跡をあるきながら学ぶ講座です。ふだんあまりとりあげない場所へまいります。京都の歴史教養をふかめたい方むきです。

.

1.【終了】京都市中心部でもっとも古く人が住んだ場所はどこか―旧石器・縄文遺跡

.

2.北白川の縄文遺跡をあるく

  日時:2011年6月18日() 午後1時、集合:叡山電車「出町柳」駅改札

.

3.京都市中心部の弥生遺跡をあるく―烏丸綾小路遺跡など

  日時:2011年7月9日() 午後1時、集合:地下鉄「四条」駅改札

.

4.山科の旧石器・縄文・弥生遺跡をあるく―中臣遺跡など

  日時:2011年8月20日() 午後1時、集合:地下鉄「椥辻」駅改札

.

5. 田植えの痕跡がみつかった―内里八丁遺跡など

  日時:2011年9月10日() 午後0時45分、集合:京阪「八幡市」駅改札

.

講師:中村武生(歴史地理史学者、立命館大学など非常勤講師)

参加費:2,000円

定員:20名

予約要(当日飛び入り参加に応じられない場合があります)、必ずメールアドレスへお申し込みください(shisekitai@nifty.com)

 全会ご参加がのぞましいですが、1回ごとの参加にも応じます。

 健脚向き

 雨天決行

 第2期は10月から始まります。

|

2011.05.12

高槻市の博物館2つをはしご

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 昨日、有志と、高槻市立しろあと歴史館と今城塚古代歴史館をはしごした。中西裕樹さんから招待券をいただいていたから。ありがとうございます。感謝しております。

 高槻市立しろあと歴史館では、豊臣秀勝の興味深い史料が公開されていた。そうか高槻城の金箔瓦は秀勝か。高山右近でなくて。目からうろこだ。

 またロザリオをもったキリシタンの人骨もそのまま展示されていた。いずれも現物を初めて拝観した。すばらしい展示だった。

 移動中、びっくりする大雨にであう。車中でよかった。ありがとうございます、Kさん。

 今城塚古代歴史館もたいへん楽しかった。ほんとうは整備なった今城塚にも登りたかったが、とにかく超大雨だったからあきらめ。また改めます。

 本日の京都新聞夕刊に、滋賀県日野町中在寺の宮前橋が豪雨のため折れ曲がっている写真が載っていた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110512-00000031-kyt-l26

 すごい。自然災害すごい。

|

2011.05.11

有光教一先生、死去

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 本日午後、考古学者、有光教一先生が亡くなられた。103歳。謹んでお悔やみ申し上げます。

|

2011.05.10

【更新】連載「池田屋事件」講談社メールマガジン

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 講談社メールマガジン連載「本気で考える池田屋事件」がさきほど更新されました(第45回)。よろしければご覧ください。

 今回は池田屋襲撃以後の被害者の話です。http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=31

|

立命館大学で山科本願寺・寺内町のはなしをしまくる

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

5月9日(月)はれ

 あつい日だった。

 立命館大学に出講。山科本願寺・寺内町のはなしをしまくる。それで終わった。惣構論の一環なのだが、ただの遺跡紹介みたいだった。あかん。感情だしすぎ。

 帰途、30分だけ洛中研究室をのぞく。

|

2011.05.09

「御土居支配」者は角倉与一であるという誤解

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

5/8(日)はれ

 御土居堀を考える市民講座に出講。角倉与一から東町奉行に土居堀支配が変わってのちの話をする。

 準備のときから気になっていた矛盾がある。それが何か、語っているときには気づかなかった。

 拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞文化センター、2005年、1,470円)2冊売れる。ありがとうございます。

 終わるとそこに高木博志博士がおられた。次の部屋の使用者が、高木博士のかかわる研究会だっのだ。びっくりだ。

 今日は母の日なので、家族総出で河内国茨田郡高田村西郊におよぶ。お嬢さん、あいそよくしてくれる。たいへんごちそうになった。帰りの車の中、後半お嬢さん機嫌わるし。

 つかれてうたた寝。夜、起き出して本日の復習、池田屋事件の宿題に立ち向かう。

 御土居堀の矛盾、ようやく気づいた。思い返すと15年間、大きな誤解をしていたことになる。まあこわい。いやいやそれどころではない。なんでこんなことを15年ももちつづけたか、夜なかに整理しながら考える。ながく続けるとはすごいこと。自身の研究史をふりかえる。感慨ぶかい。この件は、さ来週の御土居堀を考える講座でお伝えいたします。

 それが終わってから、池田屋事件の宿題に立ち向かう。それが終わってメール送信したのが午前3時30分。寝る。

 翌朝7時30分におきてメールチェックすると、担当Yさんから4時30分にていねいなお返事が届いていた。僕より寝ていない方。

|

2011.05.06

微細にこだわる池田屋事件

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 連休中の5月4日と5月5日は外勤がなかった。ゆえに池田屋事件にこだわった。

 また微細なことが気になった。わるいくせだ。が、それも僕だからしょうがない。

|

2011.05.05

連載はしんどいよ

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 去る5月2日(月)、京都新聞夕刊に連載されていた西野由紀さん(愛知淑徳大学)の「みやこ図会めぐり」が終わられた。(一方的なことですが)ご苦労様でした。

 月1回のことと思いますが、たいへんなことだったでしょう。

 しばらく中村武生は新聞連載は控えている。非力なので、論文が書けないのだ。

 山田邦和博士みたいな超人もいるが(中日新聞なとで週1回の連載をつづけておられる)、くどいが、僕は非力なので連載すると論文がとまる。

 池田屋事件のネット雑誌連載が終われば、しばらくたまりまくっている個別論文製作に専念したい。ご迷惑をおかけしている方々、いましばらくお待ち願います。

 知った方の連載をみると、すごいなあ、たいへんやなあと思ってしまうわけだ。

|

2011.05.03

浪士組上洛ルートをあるいた

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

5月1日(日)あめときどきくもり

Dcf_1115

 中村武生とあるく幕末マニア巡検、第1回。

 浪士組(のち一部、新選組になる)上洛ルートをあるく。近江武佐宿(現滋賀県近江八幡氏)から鏡宿まで。実に楽しかった。

 旧武佐宿に、享保年間の象が通ったという表示があって驚いた。関心がうすいのは京都だけなのですね。東京には象小屋跡の表示もありますのに。

 それにしてもよくあるきました。健脚向きですから。

 次回は5月22日(日)です。大津から山科まであるきます。参加希望者はメールください。若干名でしたらまだ可能です。

|

2011.05.01

吉村昭『三陸海岸大津波』を読んだ

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

 遅ればせながら、吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫、2004年、初出は1970年)を読んだ。

 驚いた。予言の書かと思った。明治29年・昭和8年の地震紹介なのに、先日のそれかと錯覚する場が実に多かった。強烈である。一読を心よりお勧めする。

 この書物が三陸海岸にお住まいの方に読まれていなかったことが惜しまれてならない。

|

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »