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2011.03.07

龍安寺と織田信長一族(備忘のため)

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 いつもの「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」(6日目)で、洛西龍安寺に参拝した。

 『京都市の地名』(平凡社)によれば、最古の現存建物は方丈で、もと慶長11年(1606)建立の塔頭西源院本堂だったとある。

 方丈に入ると、その解説に織田信包(おだ・のぶかね)建立とあった。

 織田信包は信長の弟で、大河ドラマ「江」では、小谷落城後の浅井母子の寄宿地に設定されている(根拠は希薄)。小林隆さんが扮している。

 タイムリーだったので、関心をもった。が、方丈の解説には史料根拠の記載がなく、事実かどうかの判断がつかなかった。

 そこで思い出したのが、信長の妹犬である。犬は江(督)の最初の夫とされる、佐治与九郎一成の父信方(実は兄らしい)に嫁いだ(だから犬は佐治一成の生母ではなかろう)。

 それはいいのだ。

 夫佐治信方と死別後、織田犬は細川右京大夫信良(昭元)に再婚する。龍安寺は細川勝元以来、細川右京大夫家の菩提寺である。

 龍安寺の文書のなかには、再婚前の天正3年(1575)11月10日、下京地子銭を得る権利を信長が犬に与えた文書が残されている(福田千鶴『江の生涯』42~44ページ)。信長の妹犬は、龍安寺とふかいかかわりのあることはまちがいない。

 その兄弟織田信包である。西源院本堂(現龍安寺方丈)を建立したはなしはガセではないかも知れない。

 で、帰宅して調べなおしてみたら、いやいやおそれいった。知らなかった事実がいっぱいで。不勉強に恥じ入ったしだいです。

 『鹿苑日録』慶長19年(1614)8月7日条によれば、織田信包の葬式が龍安寺で行われている(『史料京都の歴史』右京区編、348ページ)。

 『京都府寺誌稿』によれば、信包の娘を供養するために塔頭西源院を再興し、自身も当地に葬られた由。

 ゆえに西源院旧蹟地(「方丈の西、御陵総門の西に隣れる空地」)に織田家墓所があり、信包・信則父子の五輪塔があった由(寺田貞次『京都名家墳墓録』657ページ)。

 なお現存する塔頭のうち霊光院は、「龍安寺文書」中「霊光院由来」によれば、織田犬が檀越の由。そもそも犬の法号が「霊光院殿」で、創建は犬の「叔母浄智院殿」の由(『史料京都の歴史』右京区編、346~347ページ)。

 なお織田犬以外にも檀越がいて(死後か)、佐治与九郎一成夫妻の由。佐治与九郎は江と縁がなくなったのち、信長の娘をめとっている。この娘(ふり。康清院殿)も檀越のようだ。だから佐治与九郎一成もやっぱり織田一族なのだ。

 龍安寺って、とても織田一族と縁がある。知らなかった。見落とされた「江」ゆかりの地である。

【追加】織田信包一族(佐治与九郎夫妻ふくむ)の五輪塔は現存していたのですね。感じ入っております。http://web.city.tamba.hyogo.jp/furusato/?p=824

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