霊明神社史をおもしろがる
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池田屋事件執筆の都合で、あらためて霊明神社文書(京都市東山区)を読みなおしている。
既報だが、霊明神社(霊明舎)は、村上丹波都平(むらかみ・たんば・くにひら)主宰の神道葬祭施設で、龍馬の埋葬地である。
龍馬は霊山護国神社に葬られたのではない。村上氏の霊明舎に葬られたのだ。その土地を明治政府が没収し、霊山護国神社の前身施設(東山招魂社)に譲渡したのである。
池田屋事件戦死者のうち吉田稔麿が、霊明舎に葬られた。おそらく杉山松介も野老山吾吉(吾吉郎)も同様である。
長州屋敷が遺体を確保した者のうち、非合法活動者は霊明舎に託したといえる。屋敷の正規職員吉岡庄祐は、寺町蛸薬師の誠心院に葬られた。
ここは在京の毛利家京都屋敷の職員の埋葬地と決められていたようである。
今回の切り口は、池田屋内戦死者を三縁寺に葬ったのは誰かという点である。
すなわち一部で述べられてきた長州屋敷関係者が奔走して三縁寺をみつけて葬ったというのではなく、斬った新選組をふくむ会津松平家関係者であろうということ。
それを霊明舎や誠心院の埋葬事例を根拠に否定しようというわけである。
それはさておき、霊明神社文書、実におもしろい。
まだまだ中途半端だったな。これまでの理解。
霊明神社史そのものも、そのうち書かねばならぬので、その準備にもなる。
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