京都で新選組講座開始
2月23日(水)はれのち小雨
皇太子誕生日。将来の「天皇誕生日」。
本日は醍醐寺の五大力の日でもある。将来、五大力の日は毎年祝祭日になる。多数の御客を見込める醍醐寺にとってうれしいことではないか。
よみうり文化センター京都教室に出講。本日から「新選組研究の最前線をまなぶ・あるく」が始まった。
まずは最近の学術の新選組評価をお話しする。幕末史のわくぐみがかわり、新選組評価が抜群にあがった。
ついで浪士組上洛。三野行徳さんの成果をつかわせていただいて、新選組の母体浪士組の誕生過程をお話しする。
みなこの国の防衛に危機感をもっていた。ゆえにみな「攘夷」論者。ただそれだけのこと。つまりみな同志。
それが、だれが攘夷の主体者になるかで対立した。
清河八郎は天皇の命令で浪士集団が行おうとした(徳川将軍をはずしてよいと考えた)。近藤勇は天皇の命令というのも浪士がというのも変わらないのだが、徳川将軍のもとで行うべきだとした。
これが近藤勇の浪士組脱退の主たる理由である。
長州毛利家も、「天皇親征」をかかげ、徳川将軍をはずして、毛利家など有力大名が攘夷の実行者になろうとした。
これが国論分裂のもとになっている。
枝葉なのだ。もめている理由は。
この国をよくしたいとみな思っていた。が、その方法にちがいがあった。それゆえまとまれない。だから対立した。それが国家の危機をもたらした。
現代も類似のことがおきていませんか、と述べた。
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