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2011.01.27

江の夫、豊臣秀勝埋葬地の典拠がわからない

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 江(浅井長政三女)の2人目の夫だった豊臣秀勝(小吉)は、天正20年9月9日(1592年10月14日)、朝鮮・巨済島で死んだ(福田千鶴さんは事実上最初の夫だったという。『江の生涯』74ページ、中公新書、2010年)。

 その埋葬地は、「嵯峨亀山」だとされる。豊臣ファミリーの伝記をまとめた渡辺世祐さん『豊太閤の私的生活』が述べている(講談社学術文庫、71ページ、1980年、初出は1939年)。

 が、その根拠がわからない。『大日本史料』稿本の秀勝死去の部分を読んだが、載っていないように思う。

 なお嵯峨亀山の埋葬地は、母智子(日秀尼)によって寺院となった。善正寺である。嵯峨亀山といえば、天龍寺の西側あたりだろうが、現在のどこにあたるのか厳密な位置が知りたい。が、僕の調べ方がわるいのか、それもわからない。

 近代の地誌『京都坊目誌』が、「洛西嵯峨」とするのを唯一見つけた。まだあるのかも知れないが(新修京都叢書19巻430ページ)。でも「亀山」はみあたらない。

 それが慶長5年(1600)に洛東岡崎へ移った、現在の善正寺には兄秀次と誤解されている五輪塔があり、それが正しくは秀勝だと、やはり渡辺世祐さん『豊太閤の私的生活』はいう。

 敬意を表してやまない、平凡社の『京都市の地名』にも、「善正寺」は立項されいない。

 元禄2年(1689)の序をもつ地誌、『京羽二重織留』巻5の「武将塔」部分に、「丹波少将秀勝塔」「東山善正寺に有」とあるので、少なくとも江戸時代前期には認識されていることがわかる。昨日や今日のことではない。

 とにかく文献ではわからないので(これまた敬意を表してやまない、寺田貞次『京都名家墳墓録』にも善正寺の秀勝墓は記されていない。不思議。)、実際をみようと、去る1月25日、善正寺(京都市左京区岡崎東福ノ川町)の秀勝塔を墓参しようとした。

 が、寺の住職の許可がおりなかった。最近は公開を許さないそうだ。まったく残念なことである。

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