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2011.01.10

江(ごう)第1話をみた

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 NHK大河ドラマ「 江―姫たちの戦国」 第1話「湖国の姫」をみた。

 友人太田浩司さんがオープニングテーマのテロップに出るか気になっていた。「資料提供」者として、登場した。たいへんよかった。

 内容はだいぶひどかった。歴史がお得意でない田渕久美子さん自身が原作を書かれたのでやむをえないとは思っていたが、予算が多めの民放の長時間時代劇をみている感じだった。

 劇中、浅井長政と市の結婚を永禄11年(1568)に設定されていた。

 これは「時代考証」を担当された小和田哲男さんの説である。これに対し、「資料提供」者である太田浩司さんは、永禄4年(1561)説をとっておられる(『戦国大名浅井氏と北近江―浅井三代から三姉妹へ』2刷、2009年、21ページ、61ページ、長浜市長浜城歴史博物館)。

 僕自身は、「賢政」から「長政」への改名時期にもとづく太田説に妥当性を感じている。「賢」は織田同盟以前にしたがっていた六角義賢からの一字をもらったもの、「長」は信長からの一字と解される。

 浅井長政は六角義賢の家臣平井定武の娘と結婚していたが、それと離縁して織田市と婚姻する。市はともかく、長政は初婚ではないようだ(婚約とするならそうとはいえないが(福田千鶴『江の生涯』8ページ、中央公論社、2010年))。

 市が信長の妹という設定であったが、必ずしも自明のことではない。これは「織田家雑録」や「豊臣太閤素性記」などの編纂ものを根拠としている。

 これに対し江戸後期の徳川将軍の女性伝である「以貴小伝」には、「信長のいとこなり」とあるし、「織田系図」などには、いとこの娘とある。

 もちろん信用にたる説ではないのだが、妹であることも確実とはいえないとは知っていてよい(前掲『戦国大名浅井氏と北近江』130ページ、前掲『江の生涯』9ページ)。

 福田千鶴さんは、「『信長公記』によれば、信長の「妹」である市を「娘分」にして嫁がせたとある」とされるが(前掲『江の生涯』9ページ)、とりあえず奥野高広・岩沢愿彦校注『信長公記』(角川書店)には見いだせなかった。

 小豆袋のシーンは期待通り登場したが、なんと侍女が提案し、市が拒否するという設定だった。なんだなんだという感じ。

 長政の離反をこっそり信長に伝えたい市が、両端をしばった小豆袋を陣中見舞いとして信長に送り、信長軍(小豆)は朝倉・浅井の挟み撃ちにあいますよというメッセージとしたという有名な話だが、事実ではなかろう。信用できる同時代史料にはまったくない。それこそ『信長公記』に記載がない。後世の朝倉氏の軍記物にあった話のはずだ。

 届けられたからこそ感動的なシーンなのである。だから大河「おんな太閤記」(1981年)以来、さまざまなドラマで採用されてきたわけだ。事実でなくても使いたくなるという気持ちはわかる。

 なのに設定された上で、市に拒否させ、信長のもとに小豆袋が届けられなかったって本末転倒だ。なくてよいシーンだった。 

 きりがないので今回はここまで。

※【追記】友人桐野作人先生が、ブログで上記の疑問に答えておられる。市は信長の「娘分」として浅井長政に嫁いだと記した史料は、『信長公記』ではなく、『浅井三代記』である由。失礼なことだった。すでに玉稿「お市と濃姫」に記しておられる。掲載された堀新編『信長公記を読む』を恵贈いただいていたのに(215ページ、吉川弘文館、2009年)。記しておわびいたします。

 桐野先生のブログ「膏肓記」はこちら→http://dangodazo.blog83.fc2.com/

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