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2011.01.22

江第2回「父の仇」をみた

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 大河「江」第2回「父の仇」をみた。かわらずひどい。

 正確な織田市の結婚時期がわからないと、前回ふれた。同様に、娘である三姉妹の誕生年もすべてよくわからない。ほんとうに事実がない人々。 

 長女浅井茶々(淀殿)の生年は、一般に永禄10年(1567)とされる。これは江戸後期の『翁草』が享年を数え49歳とすることによる。没年はまちがいなく慶長20年(1615)だから、ここから逆算すれば、永禄10年(1567)になるというわけ。

 ちなみに永禄10年(1567)茶々誕生説をとれば、ドラマがとった永禄11年(1568)浅井長政・織田市の結婚説は破綻する。

 だからと思うのだが、ドラマでは永禄12年(1569)説をとられた(大河ドラマストーリー『江』前編、132ページ)。

 これは近年井上安代さんが明らかにされた成果である。『義演准后日記』慶長11年(1606)424日条に、翌5月2日より「秀頼公と御袋様(茶々)」が「有気」に入るとあるのを根拠とされた(『豊臣秀頼』158ページ)。星座による検証であるから無視できない。妥当性があるといえる。

 おそらくドラマはこの説をとられたのだろう。

 次女浅井初は、通常永禄13年=元亀元年(1570)誕生とされるが、根拠希薄である。

 浅井江(督)については、江戸後期につくられた徳川家の女性伝「以貴小伝」が、享年54歳(寛永3年9月15日=1626年11月3日没)とするを信じて、天正元年(1573)誕生とされる。

 これは父浅井長政滅亡の年と一致する。ドラマもこれをとられた。しかし「以貴小伝」が事実を伝えているか、根拠はなく、これまた確かかどうかわからない。

 浅井長政の娘でよいならば、それが滅びた天正元年(1573)の翌年、天正2年(1574)以前の誕生がまちがいないといえるていどである。もちろん落城の直前のエピソードはまったくフィクションである。きついな。

 今週、浅井江(督)が、母織田市および2人の姉と安土城で信長と会った。

 設定は天正7年(1579)である。するとドラマの設定なら、それぞれ数えで茶々11歳、初10歳、江7歳である。

 扮した女優さんはそれぞれ数えで、 39歳、29歳、26歳である。いたい。

 市と三姉妹は、信長の弟信包(のぶかね)の居城伊勢上野城にいたという設定だったが、それも事実かどうかはわからない。

 典拠は「浅井三代記」や「総見記」といった後世の軍記物だからだ。ちなみに「総見記」は信包(のぶかね)のもとにいたのは「暫時ノ間」で、まもなく尾張清須に移ったとする。ドラマでは6年もの間、信包のところにいたわけだ。しばらくとはいえないのではないか。このまま尾張清須時代を描かないのだろうか。

 朝倉義景・浅井久政・長政のどくろが、天正2年(1574)の1月1日の宴席に並べられた話があったが、事実である(『信長公記』)。

 ただし三姉妹が信じていたという、どくろの盃で酒を飲んだという噂話は同時代のものではなかろう。現代人が『信長公記』を曲解して広めたものと思われる。そんな過ちをした書籍・マンガたくさんありますね。

 江が残酷だといわんばかりに信長を責めた。

 それに信長は反論した。「それは亡くなりし者への礼節としてじゃ」、「戦った相手をたたえ、その前で酒をくらう。勝者・敗者が生ずるのは必定だが、いくさは終わった。ともに着飾り、相うちとけて、新しき年を迎えようではないかとな」(開始から32分目ぐらい)。

 が、事実ではない。

「他国衆退出の已後、御馬廻衆ばかりにて、一、古今承り及ばざる珍奇の御肴出で候て、又御酒あり。去年北国にて討とらせられ候、一、朝倉左京大夫義景首、一、浅井下野首、一、浅井備前首、已上、三ツ薄濃(はくたみ)にして公卿に居え置き、御肴に出され候て御酒宴。各御謡、御遊興、千々万々目出度御存分に任せられ、御悦びなり」(奥野高広ら校注『信長公記』165ページ)

 薄濃(首を漆でかためたのち金泥などで薄く彩色した)三人の首を、「古今聞いたことがない(酒の)肴が出た」と評し、「これ以上のめでたいことはない」と喜んだのだ。礼節でもなんでもない。曲解だ。

 ただし奥野高広さんら校注者も指摘しているように、外様が退出したのちの、「馬廻衆」つまり側近たちとの宴席で行ったことだから、信長の残酷性を示すものともいえない。

 自分たちも死ぬ危険があった相手を運よく倒したわけだから、純粋なる勝利宣言ていどの評価でよいのではないか。

 今回はこのへんで。

【参考文献】

太田浩司「小谷落城と長政妻子の脱出」『長浜みーな』97号、長浜みーな協会、2007年

福田千鶴『江の生涯』、中央公論新社、2010年

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