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2011.01.31

【講座】基礎からまなぶ!日本歴史のご案内

【講座】基礎からまなぶ!日本歴史のご案内

                        記 

日時:2011年2月1日(火)午前10時50分~12時

場所:キャンパスプラザ京都、5階第3・4演習室(京都市下京区塩小路通西洞院下ル東側)

内容:①最近の日本史こばなし、②安政大獄と桜田門外の変

講師:中村武生(歴史地理史学者、京都女子大学非常勤講師)

参加費:500円

※参加自由

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【巡検】栂尾高山寺・槙尾西明寺に行きます

 いつもの「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」のご案内です。

                      記

 日時:2011年2月7日(月)午前9時~昼すぎ

 行き先:栂尾(とがのお)高山寺、槙尾西明寺(京都市右京区)

 集合場所:JR京都駅(烏丸中央口)JRバス3番のりば

 参加費:500円 ※交通費・拝観料などは自弁ください

 同行:中村武生(歴史地理史学者、京都女子大学非常勤講師)

 ※降雪の場合、中止することがあります

※9時15分発のJRバス「高雄・京北線」に乗ります。

 ※当日、京都バスチケットセンターで「高雄フリー乗車券」を買います。お得ですし(往復1,000円のところ800円)、途中下車ができますので、便利です。

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龍馬の誕生日は10月15日かも

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 いつもの木屋町六角下ルの酒場「龍馬」で、坂本龍馬講座をした。

 龍馬の誕生日は11月15日である根拠はうすいとは、周知のこと。

 可能性としては、10月15日もありえる。

 天保6年はまちがいないようだ。すると天保6年10月15日なら、西暦なら1835年12月4日になる。そうか、そうだったのか。

 詳しくは次回発行の『近時新聞』をごらんください(京都龍馬会発行)。

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2011.01.27

江の夫、豊臣秀勝埋葬地の典拠がわからない

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 江(浅井長政三女)の2人目の夫だった豊臣秀勝(小吉)は、天正20年9月9日(1592年10月14日)、朝鮮・巨済島で死んだ(福田千鶴さんは事実上最初の夫だったという。『江の生涯』74ページ、中公新書、2010年)。

 その埋葬地は、「嵯峨亀山」だとされる。豊臣ファミリーの伝記をまとめた渡辺世祐さん『豊太閤の私的生活』が述べている(講談社学術文庫、71ページ、1980年、初出は1939年)。

 が、その根拠がわからない。『大日本史料』稿本の秀勝死去の部分を読んだが、載っていないように思う。

 なお嵯峨亀山の埋葬地は、母智子(日秀尼)によって寺院となった。善正寺である。嵯峨亀山といえば、天龍寺の西側あたりだろうが、現在のどこにあたるのか厳密な位置が知りたい。が、僕の調べ方がわるいのか、それもわからない。

 近代の地誌『京都坊目誌』が、「洛西嵯峨」とするのを唯一見つけた。まだあるのかも知れないが(新修京都叢書19巻430ページ)。でも「亀山」はみあたらない。

 それが慶長5年(1600)に洛東岡崎へ移った、現在の善正寺には兄秀次と誤解されている五輪塔があり、それが正しくは秀勝だと、やはり渡辺世祐さん『豊太閤の私的生活』はいう。

 敬意を表してやまない、平凡社の『京都市の地名』にも、「善正寺」は立項されいない。

 元禄2年(1689)の序をもつ地誌、『京羽二重織留』巻5の「武将塔」部分に、「丹波少将秀勝塔」「東山善正寺に有」とあるので、少なくとも江戸時代前期には認識されていることがわかる。昨日や今日のことではない。

 とにかく文献ではわからないので(これまた敬意を表してやまない、寺田貞次『京都名家墳墓録』にも善正寺の秀勝墓は記されていない。不思議。)、実際をみようと、去る1月25日、善正寺(京都市左京区岡崎東福ノ川町)の秀勝塔を墓参しようとした。

 が、寺の住職の許可がおりなかった。最近は公開を許さないそうだ。まったく残念なことである。

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2011.01.26

【講座】御土居堀を考える講座のお知らせ

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 【講座】御土居堀を考える講座のお知らせ

 テーマ:江戸時代の御土居堀・その1

 日時:2011年2月6日(日)午前10時50分~12時

 場所:キャンパスプラザ京都・5階第3・4演習室(京都市下京区西洞院通塩小路下ル東側。JR京都駅烏丸中央口西へ徒歩5分)

 参加費:500円

 講師:中村武生(歴史地理史学者)

 ※次回は、2月13日(日)午後1時から、巡検です(~午後3時ごろ)。京阪電車三条駅中央改札集合。御土居堀跡を三条通から南下します。

 ※以後の予定は、2月19日(土)巡検、2月27日(日)座学、3月6日(日)巡検、3月13日(日)巡検、3月19日(土)巡検、3月26日(土)座学です。

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2011.01.24

【巡検】高雄神護寺へ行きます

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 次回の「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」(5日目・6日目)のご案内

 日時:2011年1月31日(月)午前8時40分集合(~12時ごろ)

 行き先:高雄神護寺

 集合地:四条烏丸・市バス8号系統バス停(午前8時58分発車)

 参加費:ワンコイン(500円) ※交通費・拝観料などは自弁ください

 案内:中村武生(京都女子大学非常勤講師)

 ※雨天決行

 ※コースは、『諸国道中旅鏡』(弘化5年=1848)による

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2011.01.22

幕末志士Mの墓みつかる

 さがしていたMという幕末志士の墓がみつかったとご連絡をいただいた。
『明治維新人名辞典』(吉川弘文館)に立項されていないが、『修訂防長回天史』には登場する。
『京都名家墳墓録』も欠落させていた。
 
 古高俊太郎と縁のある、知る人ぞ知る人物である。
 発見・教示くださったAさんに感謝します。

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江第2回「父の仇」をみた

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 大河「江」第2回「父の仇」をみた。かわらずひどい。

 正確な織田市の結婚時期がわからないと、前回ふれた。同様に、娘である三姉妹の誕生年もすべてよくわからない。ほんとうに事実がない人々。 

 長女浅井茶々(淀殿)の生年は、一般に永禄10年(1567)とされる。これは江戸後期の『翁草』が享年を数え49歳とすることによる。没年はまちがいなく慶長20年(1615)だから、ここから逆算すれば、永禄10年(1567)になるというわけ。

 ちなみに永禄10年(1567)茶々誕生説をとれば、ドラマがとった永禄11年(1568)浅井長政・織田市の結婚説は破綻する。

 だからと思うのだが、ドラマでは永禄12年(1569)説をとられた(大河ドラマストーリー『江』前編、132ページ)。

 これは近年井上安代さんが明らかにされた成果である。『義演准后日記』慶長11年(1606)424日条に、翌5月2日より「秀頼公と御袋様(茶々)」が「有気」に入るとあるのを根拠とされた(『豊臣秀頼』158ページ)。星座による検証であるから無視できない。妥当性があるといえる。

 おそらくドラマはこの説をとられたのだろう。

 次女浅井初は、通常永禄13年=元亀元年(1570)誕生とされるが、根拠希薄である。

 浅井江(督)については、江戸後期につくられた徳川家の女性伝「以貴小伝」が、享年54歳(寛永3年9月15日=1626年11月3日没)とするを信じて、天正元年(1573)誕生とされる。

 これは父浅井長政滅亡の年と一致する。ドラマもこれをとられた。しかし「以貴小伝」が事実を伝えているか、根拠はなく、これまた確かかどうかわからない。

 浅井長政の娘でよいならば、それが滅びた天正元年(1573)の翌年、天正2年(1574)以前の誕生がまちがいないといえるていどである。もちろん落城の直前のエピソードはまったくフィクションである。きついな。

 今週、浅井江(督)が、母織田市および2人の姉と安土城で信長と会った。

 設定は天正7年(1579)である。するとドラマの設定なら、それぞれ数えで茶々11歳、初10歳、江7歳である。

 扮した女優さんはそれぞれ数えで、 39歳、29歳、26歳である。いたい。

 市と三姉妹は、信長の弟信包(のぶかね)の居城伊勢上野城にいたという設定だったが、それも事実かどうかはわからない。

 典拠は「浅井三代記」や「総見記」といった後世の軍記物だからだ。ちなみに「総見記」は信包(のぶかね)のもとにいたのは「暫時ノ間」で、まもなく尾張清須に移ったとする。ドラマでは6年もの間、信包のところにいたわけだ。しばらくとはいえないのではないか。このまま尾張清須時代を描かないのだろうか。

 朝倉義景・浅井久政・長政のどくろが、天正2年(1574)の1月1日の宴席に並べられた話があったが、事実である(『信長公記』)。

 ただし三姉妹が信じていたという、どくろの盃で酒を飲んだという噂話は同時代のものではなかろう。現代人が『信長公記』を曲解して広めたものと思われる。そんな過ちをした書籍・マンガたくさんありますね。

 江が残酷だといわんばかりに信長を責めた。

 それに信長は反論した。「それは亡くなりし者への礼節としてじゃ」、「戦った相手をたたえ、その前で酒をくらう。勝者・敗者が生ずるのは必定だが、いくさは終わった。ともに着飾り、相うちとけて、新しき年を迎えようではないかとな」(開始から32分目ぐらい)。

 が、事実ではない。

「他国衆退出の已後、御馬廻衆ばかりにて、一、古今承り及ばざる珍奇の御肴出で候て、又御酒あり。去年北国にて討とらせられ候、一、朝倉左京大夫義景首、一、浅井下野首、一、浅井備前首、已上、三ツ薄濃(はくたみ)にして公卿に居え置き、御肴に出され候て御酒宴。各御謡、御遊興、千々万々目出度御存分に任せられ、御悦びなり」(奥野高広ら校注『信長公記』165ページ)

 薄濃(首を漆でかためたのち金泥などで薄く彩色した)三人の首を、「古今聞いたことがない(酒の)肴が出た」と評し、「これ以上のめでたいことはない」と喜んだのだ。礼節でもなんでもない。曲解だ。

 ただし奥野高広さんら校注者も指摘しているように、外様が退出したのちの、「馬廻衆」つまり側近たちとの宴席で行ったことだから、信長の残酷性を示すものともいえない。

 自分たちも死ぬ危険があった相手を運よく倒したわけだから、純粋なる勝利宣言ていどの評価でよいのではないか。

 今回はこのへんで。

【参考文献】

太田浩司「小谷落城と長政妻子の脱出」『長浜みーな』97号、長浜みーな協会、2007年

福田千鶴『江の生涯』、中央公論新社、2010年

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【巡検】大覚寺などに行きます

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 次回の「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」(5日目・6日目)のご案内

 日時:2011年1月24日(月)午前10時~12時 

 行き先:大覚寺など

 集合地:市バスなど「大覚寺門前」バス停(市バス28番などで着きます)

 参加費:ワンコイン(500円) ※拝観料などは自弁ください

 案内:中村武生(京都女子大学非常勤講師)

 ※雨天決行

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【巡検】小谷城跡へいく

 「中村武生の基礎からまなぶ日本歴史」、巡検のお知らせです。

  場所:小谷城跡(滋賀県長浜市)

  日時:2011年1月25日(火)午後0時45分 ※いつもの座学はお休みです

  集合場所:JR京都駅・烏丸中央改札口(1階)

   ※午後1時発のJR長浜行快速に乗り、長浜駅に向かいます。

  参加費:500円(交通費などは自己負担ください)

  同行:中村武生(歴史地理史学者)

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2011.01.17

雪の広沢池

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 本日の広沢池です。おどろいた景観でした。

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【巡検】あらためて安堵橋、油掛地蔵などへ

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 次回の「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」(5日目・6日目)のご案内

 日時:2011年1月17日(月)午前10時~12時 ※本年最初

 行き先:安堵橋(「あんどのはし」)、油掛地蔵(「油かけぢぞう」)、大覚寺など

 集合地:JR山陰線「嵯峨嵐山」駅改札

 参加費:ワンコイン(500円) ※拝観料などは自弁ください

 案内:中村武生(京都女子大学非常勤講師)

 ※雨天決行

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2011.01.12

【講座】「江(ごう)」と史跡探訪

以下の講座を開始します。よろしければお越しください

信長・秀吉・家康と「江(ごう)」〜大河ドラマゆかりの地を歩く〜

2011年のNHK大河ドラマは、『江(ごう)』です。
ドラマの進行より先に、「江」の生涯を学びましょう。

教室学習と現地見学会を組み合わせた講座です。

(1) 1月13日 江(ごう)誕生―父浅井長政と信長の戦い
(2) 1月27日 【巡検】小谷城と城下町(滋賀県長浜市)
(3) 2月10日 最初の「結婚」と破綻―佐治一成と小牧・長久手の戦い
(4) 2月24日 豊臣ファミリーに―豊臣秀勝との再婚
(5) 3月10日 【巡検】聚楽城・豊臣秀勝邸跡(京都市上京区)
(6) 3月24日 【巡検】豊臣秀勝一族の墓・善正寺(京都市左京区)

<お知らせ> 巡検の集合場所等詳細は、教室での講義の際にお知らせします。
巡検は、場合によっては2〜3時間歩く事がございますので、歩きやすい服装・シューズでお越し下さい。

講師:中村武生(歴史地理史学者・京都女子大学など非常勤講師)

 時間:月2回・原則第2・4木曜日 13:30〜15:00

 参加費:15,750円(税込・資料代含む・6回分)

主催:京都新聞文化センター

お申し込みはこちら→http://www.kyoto-pd.co.jp/school/detail.php?nid=314

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【更新】本気で考える池田屋事件」第41回

 講談社メールマガジンが更新されました。

 拙稿「本気で考える池田屋事件」第41回が載っています。

 今回は松田重助論みたいな内容になっています。よろしければご覧ください。

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2011.01.11

基礎からまなぶ!日本歴史のお知らせです

 来週の「中村武生の基礎からまなぶ!日本歴史」のお知らせです。よろしければおこしください。

                記 

 日時:2011年1月18日(火)12時50分~13時40分 ※時間にお気をつけください

 場所:キャンパスプラザ京都・5階第3・4演習室(JR京都駅烏丸中央口前、西へ徒歩5分)

 お題:<幕末編>将軍継嗣問題と安政の大獄

 参加費:500円

 講師:中村武生(歴史地理史学者)

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天野忠幸さんから玉稿を賜りました

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 天野忠幸さんから以下の玉稿を賜りました。記して謝意を表します。

 一、天野忠幸「三好政権と将軍・天皇」『織豊期研究』第8号、2006年10月

 一、『歴史と神戸』274号(天野忠幸「戦国時代の芦屋庄・本庄・西宮の山をめぐる相論」所収、2009年6月)

 一、天野忠幸「三好氏と武家の権力秩序」『歴史科学』198号、大阪歴史科学協議会、2009年9月

 一、天野忠幸「三好氏と戦国期の法華宗教団―永禄の規約をめぐって」『市大日本史』第13号、大阪市立大学日本史学会、2010年5月

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2011.01.10

【講座】今年最初の基礎からまなぶ!日本歴史のご案内

 明日、「中村武生の基礎からまなぶ!日本歴史」があります。今年最初です。よろしければおこしください。

                記 

 日時:2011年1月11日(火)午前10時50分~12時

 場所:キャンパスプラザ京都・5階第3・4演習室(JR京都駅烏丸中央口前、西へ徒歩5分)

 お題:幕末の将軍継嗣問題、今年の干支のこと、大河「江」第1話についてなど

 参加費:500円

 講師:中村武生(歴史地理史学者)

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江(ごう)第1話をみた

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 NHK大河ドラマ「 江―姫たちの戦国」 第1話「湖国の姫」をみた。

 友人太田浩司さんがオープニングテーマのテロップに出るか気になっていた。「資料提供」者として、登場した。たいへんよかった。

 内容はだいぶひどかった。歴史がお得意でない田渕久美子さん自身が原作を書かれたのでやむをえないとは思っていたが、予算が多めの民放の長時間時代劇をみている感じだった。

 劇中、浅井長政と市の結婚を永禄11年(1568)に設定されていた。

 これは「時代考証」を担当された小和田哲男さんの説である。これに対し、「資料提供」者である太田浩司さんは、永禄4年(1561)説をとっておられる(『戦国大名浅井氏と北近江―浅井三代から三姉妹へ』2刷、2009年、21ページ、61ページ、長浜市長浜城歴史博物館)。

 僕自身は、「賢政」から「長政」への改名時期にもとづく太田説に妥当性を感じている。「賢」は織田同盟以前にしたがっていた六角義賢からの一字をもらったもの、「長」は信長からの一字と解される。

 浅井長政は六角義賢の家臣平井定武の娘と結婚していたが、それと離縁して織田市と婚姻する。市はともかく、長政は初婚ではないようだ(婚約とするならそうとはいえないが(福田千鶴『江の生涯』8ページ、中央公論社、2010年))。

 市が信長の妹という設定であったが、必ずしも自明のことではない。これは「織田家雑録」や「豊臣太閤素性記」などの編纂ものを根拠としている。

 これに対し江戸後期の徳川将軍の女性伝である「以貴小伝」には、「信長のいとこなり」とあるし、「織田系図」などには、いとこの娘とある。

 もちろん信用にたる説ではないのだが、妹であることも確実とはいえないとは知っていてよい(前掲『戦国大名浅井氏と北近江』130ページ、前掲『江の生涯』9ページ)。

 福田千鶴さんは、「『信長公記』によれば、信長の「妹」である市を「娘分」にして嫁がせたとある」とされるが(前掲『江の生涯』9ページ)、とりあえず奥野高広・岩沢愿彦校注『信長公記』(角川書店)には見いだせなかった。

 小豆袋のシーンは期待通り登場したが、なんと侍女が提案し、市が拒否するという設定だった。なんだなんだという感じ。

 長政の離反をこっそり信長に伝えたい市が、両端をしばった小豆袋を陣中見舞いとして信長に送り、信長軍(小豆)は朝倉・浅井の挟み撃ちにあいますよというメッセージとしたという有名な話だが、事実ではなかろう。信用できる同時代史料にはまったくない。それこそ『信長公記』に記載がない。後世の朝倉氏の軍記物にあった話のはずだ。

 届けられたからこそ感動的なシーンなのである。だから大河「おんな太閤記」(1981年)以来、さまざまなドラマで採用されてきたわけだ。事実でなくても使いたくなるという気持ちはわかる。

 なのに設定された上で、市に拒否させ、信長のもとに小豆袋が届けられなかったって本末転倒だ。なくてよいシーンだった。 

 きりがないので今回はここまで。

※【追記】友人桐野作人先生が、ブログで上記の疑問に答えておられる。市は信長の「娘分」として浅井長政に嫁いだと記した史料は、『信長公記』ではなく、『浅井三代記』である由。失礼なことだった。すでに玉稿「お市と濃姫」に記しておられる。掲載された堀新編『信長公記を読む』を恵贈いただいていたのに(215ページ、吉川弘文館、2009年)。記しておわびいたします。

 桐野先生のブログ「膏肓記」はこちら→http://dangodazo.blog83.fc2.com/

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2011.01.08

僕の「龍馬」が始まらない

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1月4日(火)

 お出かけの予定がなく、家でいろいろする。

 関東のS社のUさんから年賀状を拝受する。『龍馬』本の催促あり。恐縮です。忘れてはおりません。が、「池田屋事件」が終わらないと何にも手が出せない。

 池田屋関係の、ある史料の釈文をつくっていなかったことにきづき、いまさらながらパソコンに打つ。

 福山雅治さん主演「ガリレオ」再放送が始まった。魅力的な俳優さんだ。なぜ「龍馬伝」ではそう思えなかったのだろう。脚本は同じ方なのに。ちがうといえば、演出(監督)が別の方なのと、原作の有無か。いやいや、対象が実際にあった話かそうでないかは大きいわなあ。

1月5日(水)

 うちのお嬢さん、本日はじめて離乳食を召し上がる。

 年末からツイッターをしているが、本日予備校時代の友人から反応があった。異国で活躍しておられる。どうされているか気になっていたので、たいへんうれしかった。

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2011.01.05

宮部鼎蔵と西川耕蔵墓発見の事情

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1月3日(月)はれ

 父の誕生日なので、単身実家に行った。古稀である。鶏なべをいただいた。おいしかった。俳優経験のある愛犬Rが大騒ぎだった(鶏が大好き)。

 箱根駅伝をやっていた。妹の夫の実家がコース上にあるらしく、映るかもしれんとは聞いていたが、復路2時間21分あたりで本当に妹が映った。そんなうまいこと映るものではない。奇跡だといいあった。

 夕方には辞去し、家に帰って、入浴介助に参加した。

 夜、三縁寺の宮部鼎蔵の墳墓を発見した、熊本の松村秀真なる人が気になった。ネット検索したら講談社メルマガの自分の過去の文章にひっかかってとても驚いた。完全に忘れている。

 北垣国道の日記(塵海)に登場していたのだ。発見の4年前、池田屋事件戦死者にふくまれる「元山(七郎)」とは誰かと北垣に尋ねている。

 おなじ熊本出身だからなるほどと思えるが、以前から宮部や池田屋事件に関心があったのだ。だから発見につながったのだろう。

 この点、西念寺の西川耕蔵の墓発見も同様といえる。これも見つけたのは西川太治郎で、同族のものとして、ながく顕彰をしていた人である。『西川正義』や『池田屋事変殉難烈士伝』も刊行している。

 埋葬地がわからないからといって、わざわざ大津市・長等山に顕彰碑を建てたぐらい。直接関係ないのに。その直後、西念寺の墳墓をみつけるのだ。執念だな。

 過去の自分にネット上で教えてもらった。不思議な体験だったので明記した次第です。

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2011.01.03

池田屋事件での豊田謙次と安東鉄馬

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1月2日(日)はれ

 朝7時ぐらいに起きる。

 奥さんの実家にみなで行く。すき焼きをごちそうになった。たくさん酒もいただいた。問われるままに仕事のはなしをした。

 帰ってから、池田屋事件を考えた。豊田謙次と安東鉄馬をどう扱うか。ついにここに来たか。感慨無量。終わりがちかいことを感じる。まだ終んないけど。

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2011.01.02

元日から池田屋事件

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12月31日(金)ゆき

 近年まれな雪におどろく。喜ぶ。夜は紅白はみず、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」大みそかスペシャルで笑いおさめをする。

2011年1月1日(土)はれ

 昼から両親の家に行く。路程、まったく混まず。

 夜、『山県有朋関係文書』2巻所収の、山県有朋宛杉山松介書翰を読んでいて、同書の記した年次のちがいにきづく。文久元年(1861)ではない。文久2年12月だろう、と思った。

 杉山松介は池田屋事件戦死者。元日から池田屋事件に立ち向かったことにしよう。

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2011.01.01

今年もよろしくお願いいたします。

 2011年(平成23辛卯<かのと・う>)、到来。

 今年は、地デジと、大河「江(ごう)」と、法然800年遠忌と、親鸞750年遠忌と、大正100年目の年ですね。

 「池田屋事件」を絶対刊行させて、滞りすぎているものをつぎつぎ発散させたいです。

 どうぞよろしくお願いいたします。

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