« 鞆の龍馬旧蹟、桝屋清右衛門方に入る | トップページ | 後藤象二郎の洛中住居跡に駒札が建った »

2010.12.12

水戸斉昭の激昂をよむ

※人気ブログランキングの順位の上昇にご協力ください。恐縮ですが、ご覧になられましたら右側の「人気ブログランキング」の部分をクリックしてください。どうかよろしくお願いいたします。

11月30日(火)はれ

 午前10時50分、「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。

 安政期にはいった。アメリカのハリスがやってきて、通商条約交渉を行うところ。

 水戸斉昭が江戸城で激昂した。老中堀田正睦(ほった・まさよし)は困惑し、勅許を求めて上洛することになる。この行為が幕末大混乱のはじまりといってよい。越前松平慶永の側近中根雪江の日記にある、水戸斉昭の激昂部分を朗読した。

「老公(水戸斉昭)、イヤ\/何事をか承るへき。元来備中守(堀田正睦)不埒千万也。先達而も存寄あらハ申セとの事なれハ、寡人のおもふ処を申聞セたるに会得し兼るのミならす、備中も伊賀(松平忠固)もクズ\/と申せし由以の外なる事共なるぞ。備中・伊賀ハ腹を切らせ、ハルリス(ハリス)は首を刎て然るへし。切ツテ仕廻へと怒らせ給ふ」

(安政4年12月29日(1858年2月12日)、『昨夢紀事』第2、325~326ページ、( )内は中村武生による注)。

 リアルである。『昨夢紀事』は(続編たちも)ほんとうにありがたい史料である。

.

午後から、京都SKYセンターの講演(於京都新聞文化ホール)。「豊臣政権と御土居堀」というお題。熱心な方が多く、質問多く賜る。

夜は当然、入浴介護。

|

« 鞆の龍馬旧蹟、桝屋清右衛門方に入る | トップページ | 後藤象二郎の洛中住居跡に駒札が建った »