よみがえった龍馬と岩永蓮代の話
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12月9日(木)はれ
京都新聞文化センターに出講。龍馬講座最終回。
「よみがえった龍馬」というテーマで、龍馬の死後、いかに存在が思い出され顕彰されていったかを論じた。
とくに日露開戦直前、葉山御用邸の皇后美子の夢枕に龍馬がたった話の意義について、つよくお話しした。30年廃業していた寺田屋が、旧地の西隣地に復活したのもこれが端緒になっている。
NHK大河ドラマによって今年は大きな龍馬ブームだったが、つぎはいつ大きくとりあげられるかまで予想しておいた。
宇治市小倉公民館の吉水利明館長から、すてきな封書をいただいた。
在野の文化財保護活動者としてしられる岩永蓮代(故人)に関するものである。体がふるえるほどうれしかった。ありがとうございました。
吉水館長については、以前のべた(本年10月23日付)。宇治市にある三宅碑の保護者のひとりである。岩永蓮代の高著『文化財保護ありのまま』(六興出版、1988年)にも登場される。
同じくすでにふれたが、実は岩永は現宇治市木幡にあった藤原道長ゆかりの浄妙寺跡の標石を寄附した人である(写真)。この近隣地に藤原道長は埋葬されている。標石は現存するが、それには岩永の名は刻まれていない。このままでは忘れられてしまうかも知れない。あらためてここに記してながく伝えたい。
夕方、自宅でパソコンにむかっていると、テレビニュースが、牽牛子塚古墳(奈良・明日香)のそばで地下から未知の古墳が見つかったと報じた。
絶句した。手をとめてニュースに見入った。牽牛子塚古墳は斉明天皇陵の有力候補である。「日本書紀」には、斉明天皇陵の前に孫の大田皇女の陵墓があると記してある。
が、牽牛子塚古墳の前に該当する古墳がなかった。この一点が、牽牛子塚古墳=斉明天皇陵説に不利だった。
それが解消されたことになる。考古学史上、画期的発見といえる。思わず「日本書紀ってホンマのこと書くんや」とつぶやいてしまった。
来る日曜日、珍しく外勤がない。現地説明会に行けるじゃないか。
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