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2010.12.26

女子学生と霊明神社に行き、名古屋で並河誠所とあそぶ

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12月15日(水)はれ

 京都女子大学、本年最後の講義。巡検にした。

 午前8時50分、東山区高台寺南通東大路の交差点に集合。霊明神社に行く。出席をとらないといっていたのに、受講者30人も来た。頭が下がる。

 村上繁樹神主の解説をいただく。村上神主のご好意で、本殿前には幕末志士の自筆がたくさん並ぶ。ショーケースはない。生で目にできる。例の吉村虎太郎書翰をふくむ軸もあった。

 わずか30分の滞在だが、女子学生大喜び。写真を撮ってよいかとの希望に、村上神主快諾。ありがとうございました。

 帰途、「中村武生のくずし字入門」の有力受講者M宮さんとばったり。こんな朝早くから霊山参拝ですか。

 集合場所まで戻って解散したが、気になって、大学ちかくまで付いて行って、無事を見届けて戻った。

12月16日(木)はれ

 名古屋市へ。栄中日文化センターに出講。「日本の城と合戦」講座は、足利義輝殺害事件、「京都学」講座は、『五畿内志』編纂の並河誠所をとりあげた。

 並河誠所は吉宗政権期の儒学者で、吉宗政権の全面協力で本書編纂に成功した。

 並河誠所に興味をもつのは、この調査中、気に入った場所に建碑をすることである。その旧蹟地比定は、現在の水準に照らせば誤りが多い。が、いまだに影響を与え続けている。

 たとえば現在の大阪市阿倍野区に北畠顕家の墓碑を建てたが、現代では堺市石津が終焉地として有力である。

 が、『維新土佐勤王史』によれば、土佐住吉陣屋を訪ねた坂本龍馬が、仲間と墓参にきている。『維新土佐勤王史』が事実を伝えているなら、龍馬も並河の事業に影響を受けているわけである(当ブログ2010年5月17日条で既述した)。

 ほかにも摂津の式内社に多く建石をしている。

 今回、お話しするにあたって、少なくない先行研究に気づいた。にわか勉強をさせていただいた。ありがとうございます。今後もこの学習は続けます。

 急いで帰って、7時ごろから入浴介護。

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