鞆の龍馬旧蹟、桝屋清右衛門方に入る
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11月29日(月)はれ
鞆ノ浦2日目。
朝1番で、桝屋桑田清右衛門方へ。龍馬の居所である。旅宿景勝館も、もとは桝屋桑田清右衛門方の旧敷地であるらしい。
ふだん非公開であるが、今回特別許可をいただいた。参加者30名が、3組にわかれて10人ずつ「隠し部屋」(写真)に入った。
これは感激した。
龍馬の数少ない確実な居所のひとつであるだけでなく、時期も特定できるめずらしい地である。慶応3年4月24日(1867年5月26日)~4月27日+α(おそらく29日)である。
そうすると、4月27日付(推定慶応3年)の、有名な「きみへ(君江)におつかハ(遣わ)し被成度(なされたし)。あれハ今どこにおるかしらん。たゞきづか(気遣)い候」と記した、寺田屋とせ宛の龍馬書翰(宮地佐一郎『龍馬の手紙』PHP文庫、293頁)は、この地(この部屋)で書いたことになる。
君江は龍馬の妻鞆(龍)の末妹である。慶応元年9月9日(1865年10月28日)付、姉乙女宛の書翰に「殊の外の美人」と記した、当時「十三歳の女(むすめ)」である(前掲『龍馬の手紙』113頁)。
当日、「隠し部屋」に「龍馬の机」がつくられ、この手紙の複写がおいてあった。それで気づいた。
すると4月28日付(慶応3年)、菅野覚兵衛・多賀松太郎(高松太郎)宛書翰も、この地で書いたはず(前掲『龍馬の手紙』295~296頁)。
ちなみにもっといえば、慶応3年5月中旬と推定されてきた、後半が欠失している寺田屋伊助宛書翰(「取巻抜六」と署名したもの)も、僕は4月27日付書翰と同時に出されたものと考えている(前掲『龍馬の手紙』312~313頁)。
5月中旬と推定されてきた根拠は、「長崎の方へ帰り申候」とある点である。編者宮地さんは、鞆から「長崎に帰着後、書いたものと判断」された(前掲『龍馬の手紙』314頁)。
が、それをいうなら、前掲4月28日付(慶応3年)、菅野覚兵衛・多賀松太郎(高松太郎)宛書翰も、「是より」とはっきり書いているとはいえ、同じく「長崎へ帰り申候」と記しているのである。
両書翰は、海援隊長に就任したこと、いろは丸事件が起きたことを列記しており、その点で同内容である(後半は伊助宛は欠失しているので比較できない)。
これにくわえて、君江を気遣った寺田屋とせ宛の書翰は、いろは丸事件のさなかの鞆で書いたわりには、あまりに文章が短く、いろは丸事件にもふれない。
別に本旨を伝えた書翰があったと考えるが自然である。伊助宛のこの書翰がそれだろう。
そのように考えると龍馬書翰のうち、3通もこの場所で書いたということになる。
手紙の執筆場所が特定できるなんて、すごいことだ。幕末史の場所論を追及するものとして実にありがたい。しかもその建物が現存しているのだ。何ということか。
すごいな鞆町、おそるべし桝屋桑田清右衛門方、みたいな話を現地で簡略にした。
そのあと、「平成いろは丸」に乗って、鞆の沖にある仙酔島(国名勝鞆公園のうち)にわたった。
受講者の一人が、桝屋清右衛門方に入ったことを仙酔島にある国民宿舎(龍馬伝パネル展をしている)の人に述べたところ、「住民もいまだ入れていません、あなた方はどういう団体の方ですか」などと問われたそうな。
そんなに貴重な体験をしたと知らなかった。あらためて感動する。
沖から桝屋清右衛門や、前夕、オプションで行った大坂屋上杉邸遺構(対仙酔楼)をのぞむ(写真。ホテルに囲まれるようにある民家。右が桝屋、左が大坂屋)。すばらしい。
帰港ののち、福山町に移動する。ここの昼食が受講者に評判がよかった(魚好人一休・花園店)。
昼食後、福山城跡と旧城下町をあるく。福山はペリー来航時の老中首座、阿部正弘の本拠である。まったく幕末に無縁ではない。
福山は米軍の空襲にやられたので、ふるい面影は少ない。
が、さがせばいくらでもあるのだという、いつもの中村武生の古地図をつかった歴史地理巡検を敢行。
福山城跡で伏見櫓(国重文、確実な山城伏見城松ノ丸の遺構)や黒鉄門をみて、城下町の東、惣構(そうがまえ)の堀跡の外の寺町地区をあるく。ここからの天守(模擬)の眺望はすばらしかった。賢忠寺で水野勝成と殉死者の掃苔(墓参)(県史蹟)。
三ノ丸北御門外枡形石塁(市史蹟)を西へ通り、旧城下町に入る。舟入跡が地割として生きていることを示す。道路の方向が周囲とちがう。これも遺跡のひとつだ。
ここでタイムオーバー。約2時間半の行程でした。
なれている方はいいのだが、なれていない方はどうだったろうか。添乗員さんは終わったあと、足がぱんぱんになったみたいなことをいっておられた。
午後4時すぎ、福山をたつ。車内で、小宴会。なつかしい、意義深いビデオもみる。
京都着は午後8時。担当Y田Mどり係長、M尾T子さんのお迎えあり。有志で懇親会。誘われて2次会にも。
楽しい2日でした。ありがとうございました。
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