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2010.12.02

11月22日から26日までの中村武生

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11月22日(月)くもりのち雨

 午前10時から上賀茂神社で私的な祭礼。家族総出。お昼は南下して、木屋町御池上ルの「幾松」を使わせてもらう。お世話になりました。

 お店を出るころ、雨ふりだす。

 夕方、京都女子中学・高校で講演。「龍馬とお龍の出会いの地―京都女子学園の歴史地理」というタイトル。女子大学にはなれてきたつもりだけれど、女子中学・高校はまた違う。でもとても聞き上手な学生さんばかりで、楽しく過ごせました。

 終了後は教員方と懇親。熱心な先生方で、感服。

 急いで帰って、遅ればせながら入浴介護。

11月23日(火)はれ

 午前中、京都市北区の加茂川中学校へ。北区役所主催の「御土居ウォーキング」に出講。300人ほどの参加者に30分、御土居堀のはなしをする。

 そのあと、大宮土居町(玄啄下)の史蹟指定地に移り、そこでミニ講座を3回する。熱心な人多く、圧倒された。

 ミニ講座のさなかに拙著にサインを求められて絶句したが、運よく出来た。

 参加者はこのまま南下し、平野地区の御土居堀跡をあるいていかれた。

11月24日(水)はれ

 午前中、京都女子大学に出講。「板倉筑前介の歴史地理」の巡検をする。

 大仏地区に龍馬が住んだりした幕末空間は、板倉筑前介らの意図したことからすべて始まるという仮説を現地で改めて語る。

 伏見街道五条(本町一丁目)の板倉邸跡や実弟江馬俊吉(天江)邸跡まであるく。本当は中岡慎太郎が板倉を訪ねた松原木屋町の料亭跡なども訪ねたかったが、タイムオーバー。

 午後からはよみうり文化センター京都教室に出講。龍馬の刺客の逃亡ルートをあるく。渡辺篤の回想録を採用する。

 河原町蛸薬師の近江屋跡から南下し、四条通を西へ。本当はそのまま千本通まで行って北上し下立売通まで進むのだが、時間と体力を考慮し、烏丸通で地下鉄に乗り、二条駅前までワープする。

 ここからはちゃんと下立売通智恵光院上ルの寺院まで歩く。刺客のひとり佐々木只三郎の居所だったと渡辺は言う。それを疑うことはできないのだが、問題はその寺である。「やす寺」こと松林寺がその場所だと広く知れているが、この説は疑わしい。根拠をご存じですか。

 オプションで、徳川の若年寄格、永井尚志(ながい・なおゆき)居所跡である郡山屋敷跡に行く。龍馬が「ヒタ同心」と手紙に記した相手。龍馬殺害後は、後藤象二郎や福岡孝弟らに刺客は新選組ではないのかと乗りこまれた場所。重要である。

 書籍やネット上の史蹟案内ものに紹介されることが少なくないが、史料根拠を示したものを見たことがない。ご存じですか。

 終了後は二条駅前まで戻り、参加者と懇親会。楽しく過ごしました。帰宅後はもちろん入浴介護です。

11月25日(木)はれ

 京都新聞文化センターに出講。龍馬の葬送ルートをあるくというタイトルで、巡検。前日にも立った近江屋新助方跡から洛東霊山の霊明社(現霊明神社)にむかう。

 8世神主村上繁樹さんご夫妻、関係者廣森さんが歓迎くださる。

 霊明神社からほんらいの参道を通って龍馬らの墓参が出来ない。ゆえに一度階段をおりて、霊山護国神社の入場ゲートから300円支払い、霊明社旧境内にある龍馬の墓前にたつ。みなで柏手を打つ。これが正しい作法。龍馬らは神霊されているのですからね。線香や合掌は仏式ですよね。なんか変。

 遅くなった。それでも祇園でミニ懇親会をする。帰宅後はやはり、入浴介護。

11月26日(金)はれ

 午前中、北区鷹ヶ峰で「徳川時代 公儀 鷹ヶ峰薬園跡」の石碑除幕式を行う(既報)。お昼は参加者と懇親会。

 そのまま奈良県天理市へむかう。午後は天理大学で講義。また地理学からみた歴史地理と歴史学からみた歴史地理の視点のちがい、みたいな内容。

 急いで帰って入浴介護。

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