高槻行って岐阜行って嵯峨から洛中へ
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11月13日(土)はれ
高槻市立しろあと歴史館に出講。「幕末-京都御土居堀と禁門の変」を講ずる。
招聘くださったのは中西裕樹さん(当館学芸員)。ミヤコの城壁・環濠たる御土居堀に時間をついやし、禁門の変そのものの考察が不十分だった。
写真は京都市北区大宮土居町の部分。もっとも良好に現存する部分(2000年春撮影)。
夜は、東京の友人C野F哉氏が備後鞆ノ浦から上洛。懇親。
晩年の龍馬につき、議論。すでに周知のことだが、「船中八策」は明治以後の龍馬作家たちによる創作(フィクション)である。それがいかにつくられたか、C野さん作成の詳細な図を拝見。近いうちに公表されるであろう。
11月14日(日)はれ
岐阜市で惣構(そうがまえ)シンポジウムが行われる。早朝9時から夕方5時まで。朝早く拙宅をたち、午前9時すぎの開始から参加する。
昨日御世話になった、中西裕樹さん(高槻市立しろあと歴史館学芸員)や福島克彦さん(大山崎町歴史資料館学芸員)をはじめ、全国の研究者が惣構を論ずる。
実に勉強になった。細かい話を書きたいが、時間がない。京都の御土居堀は「異質」事例だと中西裕樹さん。感慨ぶかい。
日帰り。帰宅して入浴介護。夜食は久しぶりのカレーライス。
11月15日(月)ぼくのいたところは一時雨
午前中、「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」に出講。嵯峨をあるく。テキストは臨川寺のあと「小督屋敷」に行くようにすすめる。が、「小督屋敷」がわからない。近世京都の地誌類にも立項されていないもよう。
が、松尾芭蕉の「嵯峨日記」(元禄4年(1691)4月19日条)に登場することがわかった。そこには「松尾」にあると述べるものの、上嵯峨・下嵯峨にも三カ所あり、どれが確かかわからないと述べている。
いまはそれもすべて失われたようだ。ゆえに「嵯峨日記」にもある、渡月橋東詰の「三軒茶屋」跡に存在する「小督塚」にたちよる。このとき、大雨。洛中には降っていなかったとあとで知る。
つぎは天龍寺。人ばっかり。すぐに立ち去る。ついで野宮。ここで終了。嵯峨には三宅碑が多い。本日は3基はみたか。
午後から洛中へもどる。寺町今出川下ルの同志社大学「でまち家」(黒田了助清隆寓居)へ。途中、朝日カルチャー帰りのY田K和博士とばったり。立ち話5分。
でまち家から幕末薩摩旧蹟めぐり。黒田了助清隆寓居でも、西郷隆盛邸跡の「塔ノ段」付近でも、石碑がないことをなげく。
最後は小松帯刀邸跡の室町上立売上ル室町頭町付近で終了。熱心な方々ばかりで、歩きながら多数の質問をいただき、また答える。
夜はやっぱり入浴介護。
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