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2010.11.25

11月18日から21日までの中村武生

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11月18日(木)はれ

 名古屋市の栄中日文化センターに出講。いつもの「日本の城と合戦」、「京都学」講座に出講。

 前者は室町時代の将軍暗殺にはじまる一連の事件「嘉吉の乱」、後者は「京都に象がきた」。八代将軍吉宗が象を買った。江戸入りの過程で京都にも来て、天皇・上皇・皇太子も見た話をした。

 後者は、象小屋に使用された寺町の浄華院(清浄華院)所蔵の「日鑑」に、細かな記載があった。新出である。担当の松田さんや清浄華院の協力により閲覧・複写が許された。その中身をかいつまんでお話しした。

 終了後、急いで帰って、入浴介護。

11月19日(金)

 午前中、京都府宇治市公民館に出講。龍馬のはなし。

 宇治市公民館は宇治橋のたもとにある。会場の三階から宇治橋をみおろす。感激。宇治橋には何度も何度も来ているのにこのアングルははじめて。

 宇治橋は広義の京都の出入り口。すなわち京都防衛の重要点である。ここを突破されるといけない。中世の源義経や、承久の乱の際の鎌倉軍など、上洛戦でたびたびここが戦場となっているのは周知である。

 土佐亡命後、龍馬は比較的早い段階から京都に住んでいる(海舟日記など)。大坂近海の海防に関心の深い龍馬(続再夢紀事など)が、ある閑日に京都防衛の要地である宇治橋の見学に来た可能性は十分あると述べた(典拠史料はないですが)。

 お昼には終わったので、藤原道長建立の木幡の浄妙寺跡(現宇治市)に立ち寄り、木幡小学校前に建つ石碑を確認。

 ふたり分の昼食を買って帰宅。午後は介護。仕事をしつつ。

11月20日(土)はれ

 午後1時からNHK大阪「龍馬研究の最前線」に出講。岩倉具視に会いに行った龍馬の道を推定して歩いてみた。国史蹟岩倉具視幽棲旧宅(旧岩倉村)は修理中で、建物には近づけなかった。資料館「対岳文庫」の観覧だけした。それでもいくらもしゃべった。

 そのあとも、岩倉具視ゆかりの九兵衛宅跡を示す石碑(旧花園村)まで旧道を通って行った。明治前期の古地図をもとに、わざわざ選んで通るのである。一見、現景観に埋没しているがちゃんと存在する。旧岩倉村中心部は開発著しいが、旧花園村にはまだまだ豪壮な農家が残っている。楽しい。

 ついでに後日やってきたものだが、同じく花園町の三縁寺にある池田屋事件戦死者の墓参もした。終了したのは4時30分ごろ。

 地下鉄で河原町三条に移動。交差点付近で、すこし休憩。

 帰宅して、また入浴介護。

11月21日(日)

 午前中、嵯峨野学藝倶楽部に出講。伏見城下町の大名屋敷のはなし。F林武さんがこられて驚く。懇親会もこられる。終始、場所はにぎやか。

 一旦帰宅し、役に立たないながらも、少し介護。

 夕方、木屋町六角の「龍馬」に出講。寺子屋龍馬。

 先月にひきつづき、龍馬殺害。刺客である今井信郎の供述、渡辺篤の回想録、川田瑞穂による近江屋新助の子井口新之助と菊屋峯吉の聞き取りを読む。みなさんお疲れになられたようで。

 次回は、12月19日(日)、龍馬の葬送です。

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