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2010.11.26

石碑公開、鷹ヶ峰薬園跡

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 除幕式終わりました。

 石碑を公開いたします。

  今回はいつものオールルビつきの解説板はありません。後日、設置いたします。まずは標石のみです。

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2010.11.25

【除幕式】徳川時代公儀鷹ヶ峰薬園跡のご案内

徳川時代 公儀 鷹ヶ峰薬園跡 

石碑除幕式の御案内

特定非営利活動法人京都歴史地理同考会理事長

京都女子大学文学部非常勤講師 

中村武生

いつもいろいろな場で御世話になっております。

一昨年、京都の旧蹟を啓発する団体として、特定非営利活動(NPO)法人京都歴史地理同考会をたちあげました。

その一環として、現在京都市内に石碑の建立をすすめておりますが(既報)、このたび6本目の碑の除幕式を行うことになりました。今回は近江八幡市の篤志者の浄財を得ました。

現京都市北区鷹ヶ峰には、徳川時代、公儀の薬園が設置されていました。薬園から採取された薬草は、天皇や徳川将軍に服され、健康保持を助けました。

江戸小石川の公儀薬園は、現在も東京大学理学部に使用され、その他、大名家や民間のものには国史跡に指定されたものもあります(たとえば長崎県の旧島原藩薬園跡、奈良県宇陀市の森野薬園など)。

が、鷹ヶ峰薬園は、当時の井戸や農地が残されているにもかかわらず、石碑や解説板が建つなど顕彰はなされず、壊滅の危機に瀕しています。

鷹ヶ峰地区には、現在も本阿弥光悦ゆかりの光悦寺などが存在するほか、最近「史跡御土居」公園も開園しました。当碑が近世における鷹ヶ峰地区の重要性を伝え、ひいては地域の観光活性へ有効に作用すると信じております。

ご多忙のところ恐縮ですが、ぜひ除幕式へお越しください。どうぞよろしく御願いいたします。

銘は以下の通りです。

(表)徳川時代 公儀 鷹ヶ峰薬園跡

() 旧山城国愛宕郡鷹ヶ峰村

() 二〇一〇年十一月 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会建之

寄贈者 故 山田真

                          記

日 時: 2010年11月26日(金)午前10時から

場 所: 京都市北区鷹峯藤林町1-14、セブンイレブン京都鷹峯藤林店敷地

主 催:  特定非営利活動法人京都歴史地理同考会

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11月18日から21日までの中村武生

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11月18日(木)はれ

 名古屋市の栄中日文化センターに出講。いつもの「日本の城と合戦」、「京都学」講座に出講。

 前者は室町時代の将軍暗殺にはじまる一連の事件「嘉吉の乱」、後者は「京都に象がきた」。八代将軍吉宗が象を買った。江戸入りの過程で京都にも来て、天皇・上皇・皇太子も見た話をした。

 後者は、象小屋に使用された寺町の浄華院(清浄華院)所蔵の「日鑑」に、細かな記載があった。新出である。担当の松田さんや清浄華院の協力により閲覧・複写が許された。その中身をかいつまんでお話しした。

 終了後、急いで帰って、入浴介護。

11月19日(金)

 午前中、京都府宇治市公民館に出講。龍馬のはなし。

 宇治市公民館は宇治橋のたもとにある。会場の三階から宇治橋をみおろす。感激。宇治橋には何度も何度も来ているのにこのアングルははじめて。

 宇治橋は広義の京都の出入り口。すなわち京都防衛の重要点である。ここを突破されるといけない。中世の源義経や、承久の乱の際の鎌倉軍など、上洛戦でたびたびここが戦場となっているのは周知である。

 土佐亡命後、龍馬は比較的早い段階から京都に住んでいる(海舟日記など)。大坂近海の海防に関心の深い龍馬(続再夢紀事など)が、ある閑日に京都防衛の要地である宇治橋の見学に来た可能性は十分あると述べた(典拠史料はないですが)。

 お昼には終わったので、藤原道長建立の木幡の浄妙寺跡(現宇治市)に立ち寄り、木幡小学校前に建つ石碑を確認。

 ふたり分の昼食を買って帰宅。午後は介護。仕事をしつつ。

11月20日(土)はれ

 午後1時からNHK大阪「龍馬研究の最前線」に出講。岩倉具視に会いに行った龍馬の道を推定して歩いてみた。国史蹟岩倉具視幽棲旧宅(旧岩倉村)は修理中で、建物には近づけなかった。資料館「対岳文庫」の観覧だけした。それでもいくらもしゃべった。

 そのあとも、岩倉具視ゆかりの九兵衛宅跡を示す石碑(旧花園村)まで旧道を通って行った。明治前期の古地図をもとに、わざわざ選んで通るのである。一見、現景観に埋没しているがちゃんと存在する。旧岩倉村中心部は開発著しいが、旧花園村にはまだまだ豪壮な農家が残っている。楽しい。

 ついでに後日やってきたものだが、同じく花園町の三縁寺にある池田屋事件戦死者の墓参もした。終了したのは4時30分ごろ。

 地下鉄で河原町三条に移動。交差点付近で、すこし休憩。

 帰宅して、また入浴介護。

11月21日(日)

 午前中、嵯峨野学藝倶楽部に出講。伏見城下町の大名屋敷のはなし。F林武さんがこられて驚く。懇親会もこられる。終始、場所はにぎやか。

 一旦帰宅し、役に立たないながらも、少し介護。

 夕方、木屋町六角の「龍馬」に出講。寺子屋龍馬。

 先月にひきつづき、龍馬殺害。刺客である今井信郎の供述、渡辺篤の回想録、川田瑞穂による近江屋新助の子井口新之助と菊屋峯吉の聞き取りを読む。みなさんお疲れになられたようで。

 次回は、12月19日(日)、龍馬の葬送です。

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2010.11.23

旧暦の中岡慎太郎の祥月命日に

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11月17日(水)はれ

 午前中、京都女子大学に出講。板倉筑前介の歴史地理、終わり。次回は巡検。板倉筑前介邸跡や中岡慎太郎ら土佐志士との集会所跡をあるく予定。板倉は中岡にも借金を許している。そういえば、本日は旧暦の中岡の祥月命日。

 午後から、くずし字入門に出講。また中山忠光殺害事件を追う。中山忠光殺害事件の追及のストーリーが何から始まるのか、考えてみた。

 夕方、同志社大学人文科学研究所へ。こちらに所蔵の図書をコピーに行く。すでに著作権がきれているもの。けっこう時間がかかる。

 少し遅れて帰宅。また入浴介護。

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2010.11.22

龍馬伝紀行47話をみた

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「龍馬伝」47話「大政奉還」をみた。

 この番組を語るのは実にひさしぶり。

 でも本編には何もいわない。きりがないから。

 エンディングの「龍馬伝紀行」にモノ申す。

 たった2分弱なのに、ふたつも誤りがあった。

 ①ナレーション「徳川家康が将軍に任命された二条城」。

 ちがいます。家康が将軍宣下を受けたのは伏見城です。

 ②ナレーション「海援隊の京都本部となった酢屋。幕府から追われていた龍馬は都にとどまり、大政奉還成功の知らせを聞きます」。

 ちがいます。大政奉還の知らせを聞いた場所は近江屋です。

 来週最終回。もうひとつ、予告編にひとこと。いきなり龍馬が「ほたえな(土佐弁でさわぐな)」と叫んでいた。

 「ほたえな」って、龍馬は本当に言ったのですか。なぜわかるのですか。言われた人は本当に部屋の外にいたのですか。出典は何かご存じですか。

※【後報】11月21日(土)の再放送をみましたら、①だけ訂正されていましたね。②はそのままでした。

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2010.11.19

鷹ヶ峰薬園跡の標石が建った

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11月16日(火)はれ

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 午前中、NHK文化センター京都教室に出講。「坂本龍馬の生きた幕末」第3期初日。テーマは「池田屋事件研究の最前線」。タイムオーバーで、池田屋襲撃直前までで終わってしまった。

 午後からはいつもの「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。本日から幕末編。日露和親条約まで述べる。「北方領土は日本領土である」の日本側の史料根拠が、当条約である。実にタイムリーなこと。

 ついで、NPO法人京都歴史地理同考会の理事会。昨日、京都市北区鷹峯藤林町のセブンイレブンに、「徳川時代 公儀 鷹ヶ峰薬園跡」の標石が建った。来週11月26日(金)午前10時、除幕式を行うこととなる。急ですが。会員さんには近日、はがきが届くと思います。

 終了後、理事M本Iくえさんの車で、建碑地に視察に行く。

 鷹ヶ峰薬園跡への建碑は長年の課題であった(拙稿「徳川公儀の薬園の井戸」<カッパが語る京の水59>『京都新聞』2005年9月2日付、拙著『京都の江戸時代をあるく』62~64ページ、文理閣、2008年など)。

 ついに実現した。関係各位に深甚の謝意を表する。

 そのままM本さんの車に便乗し、岡崎の府立図書館に行く。明治時代のある図書をコピーに行く。

 国会図書館が所蔵していないのである。だからネットで入手できず、ここまで来た。東京大学以外、大学図書館もまったく所蔵していない。

 帰宅して、また入浴介護。

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2010.11.18

高槻行って岐阜行って嵯峨から洛中へ

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11月13日(土)はれ

 高槻市立しろあと歴史館に出講。「幕末-京都御土居堀と禁門の変」を講ずる。

 招聘くださったのは中西裕樹さん(当館学芸員)。ミヤコの城壁・環濠たる御土居堀に時間をついやし、禁門の変そのものの考察が不十分だった。

 写真は京都市北区大宮土居町の部分。もっとも良好に現存する部分(2000年春撮影)。

 夜は、東京の友人C野F哉氏が備後鞆ノ浦から上洛。懇親。

 晩年の龍馬につき、議論。すでに周知のことだが、「船中八策」は明治以後の龍馬作家たちによる創作(フィクション)である。それがいかにつくられたか、C野さん作成の詳細な図を拝見。近いうちに公表されるであろう。

11月14日(日)はれ

 岐阜市で惣構(そうがまえ)シンポジウムが行われる。早朝9時から夕方5時まで。朝早く拙宅をたち、午前9時すぎの開始から参加する。

 昨日御世話になった、中西裕樹さん(高槻市立しろあと歴史館学芸員)や福島克彦さん(大山崎町歴史資料館学芸員)をはじめ、全国の研究者が惣構を論ずる。

 実に勉強になった。細かい話を書きたいが、時間がない。京都の御土居堀は「異質」事例だと中西裕樹さん。感慨ぶかい。

 日帰り。帰宅して入浴介護。夜食は久しぶりのカレーライス。

11月15日(月)ぼくのいたところは一時雨

 午前中、「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」に出講。嵯峨をあるく。テキストは臨川寺のあと「小督屋敷」に行くようにすすめる。が、「小督屋敷」がわからない。近世京都の地誌類にも立項されていないもよう。

 が、松尾芭蕉の「嵯峨日記」(元禄4年(1691)4月19日条)に登場することがわかった。そこには「松尾」にあると述べるものの、上嵯峨・下嵯峨にも三カ所あり、どれが確かかわからないと述べている。

 いまはそれもすべて失われたようだ。ゆえに「嵯峨日記」にもある、渡月橋東詰の「三軒茶屋」跡に存在する「小督塚」にたちよる。このとき、大雨。洛中には降っていなかったとあとで知る。

 つぎは天龍寺。人ばっかり。すぐに立ち去る。ついで野宮。ここで終了。嵯峨には三宅碑が多い。本日は3基はみたか。

 午後から洛中へもどる。寺町今出川下ルの同志社大学「でまち家」(黒田了助清隆寓居)へ。途中、朝日カルチャー帰りのY田K和博士とばったり。立ち話5分。

 でまち家から幕末薩摩旧蹟めぐり。黒田了助清隆寓居でも、西郷隆盛邸跡の「塔ノ段」付近でも、石碑がないことをなげく。

 最後は小松帯刀邸跡の室町上立売上ル室町頭町付近で終了。熱心な方々ばかりで、歩きながら多数の質問をいただき、また答える。

 夜はやっぱり入浴介護。

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2010.11.15

先週のいろいろ

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11月9日(火)

 「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。天保の改革。次回はついにペリー来航になる。いつもの新聞読み解きは、西方寺(京都市左京区)の豊臣秀吉像の年代確認のことなど。

11月10日(水)はれ

 京都女子大学に出講。まだ板倉筑前介と大仏地区の歴史地理を論ずる。同大図書館に行き、明治期の雑誌を閲覧・複写。終了後、同大に所蔵されていない図書を他大学で閲覧するため依頼状を申請する。

午後から一家総出で、ひらかたパークに龍馬伝の菊人形を見に行く。ひらパー兄さんの選挙をしていた。小杉さんに入れた。

11月11日(木)

 京都新聞文化センターに出講。龍馬殺害を論ずる。最近、多くなったな。ひとつひとつの有名なシーンを、それぞれ何が出典かを紹介している。龍馬が叫んだという「ほたえな」は事実ではないと思っている。それを誰が最初に述べたか、わかってみると、なるほどなあである。

 龍馬の刺客やその黒幕に謎があるというより、その典拠となる史料に大いなる謎がある。そのことをもっと論ずるべきではないか。

 夕方、今月28~29日に行われる鞆ノ浦旅行(京都新聞文化センター)の事前学習会に出講する。予期せず、某所の特別公開が実現した。なんて贅沢な旅行。

11月12日(金)

 午前中、くずし字入門に出講。中山忠光殺害事件の原史料を読むのつづき。今回はステキな辞書を会場に持ち込んだので、困難な文字をいくつか解読できた。重いが来週も持参するを約束する。

午後から天理大学へ。地理学が歴史地理に関心をもつのはどういう対象の場合か、みたいな話をする。すくなくとも幕末志士の居所には関心をもたんわな。

 帰途、西大寺駅で、k内庁陵墓公開帰りのT木H志博士とばったり。丹波橋駅まで近鉄特急でご一緒する。ボーナスみたいな一瞬だった。

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2010.11.12

法輪寺をあるき薩摩志士の居所を論ずる

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11月8日(月)はれ

 午前中、「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」。嵐山ふもとの法輪寺へ。

 『拾遺都名所図会』の挿図をもって、うろうろ。2時間まるまる、この境内で遊ぶ。こんなマニアな会はないな。

 次回は、11月15日(月)午前9時、京福電鉄「嵐山」駅集合。臨川寺などに行きます。境内には入れません。そろそろ紅葉。いい季節ですよ。

 午後から、寺町今出川入ルの西村安兵衛邸で、同志社大学の学生さんなどに龍馬と薩摩のはなしをする。

 この西村邸は現在「でまち家」として同志社大学が使用している。幕末期、黒田清隆(了助)が2階を使用していた(拙著『京都の江戸時代をあるく』文理閣、2008年)。その「発見」のはなしをふくめ、幕末志士の居所論をした。

 来週はその巡検です。西村邸(黒田寓居)や西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀邸跡にまいります。

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2010.11.10

佐賀城下町をあるく

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11月7日(日)はれ

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 明治維新史学会(於佐賀市)、2日目。

 午前中の報告は2本。いずれも江藤新平論で、興味深く拝聴した。

 午後からは有志のみの巡検。参加したかったのだが、飛行機の時間があわず、断念。ゆえに一人で時間まで佐賀城下町をあるく。0時45分。

 文化年間の城下町絵図を現代の都市計画図上に落とした、『御城下絵図に見る佐賀のまち』(鍋島報效会、2010年)を片手に。ありがたい図でした。

【コース】島義勇(しま・よしたけ)宅跡→江藤新平墓(本行寺)→江藤新平誕生地(写真)。

江藤新平生家跡って、文化年間の城下町絵図の範囲の西郊外。身分の低さがわかる。

(長崎街道を通って)築地反射炉跡→多布施反射炉跡 

 ここで時間がつきた。午後3時45分。

 佐賀空港に移り、5時30分発。6時40分伊丹着。

 きわめて有意義でした。

 本日は京都歴史地理同考会のNPO法人認可連絡3周年紀念日。別件は12周年紀念。おめでとうございます。1979年10月5日を思い出していました。

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2010.11.07

佐賀市の明治維新史学会にきた

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 昨日より佐賀市にきています。

 明治維新史学会、秋の大会です。

 佐賀城本丸跡の歴史館が会場です。

 報告者に質問される方にマイクを手渡す役をしております。

 本日の会場は、佐賀大学経済学部です。

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2010.11.05

京都の松平春嶽邸跡で食事と講座

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11月4日(木)はれ

 NHK文化センター京都講座「幕末をたべる」(第2期)に出講。

 今回は2時間目で、越前福井屋敷跡に建つ、京都国際ホテル内「ほり川」でお食事しながらの幕末講座を行う。

 松平慶永(春嶽)を中心に、龍馬をからませて。

 史料から龍馬がいつこの屋敷にきたか、何をしたのか、当時の龍馬は何を考えていたのかなど、少し話ながめに。

 終了後は、いつものミニ巡検。さほど遠くない一橋慶喜の邸宅「若狭小浜(若州)屋敷」跡まであるいた。その距離の近さ、若州屋敷の広さを体感していただいた。

 元治元年(1864)3月4日、長州問題を決着させる大事な朝議を、慶喜はボイコットした。これに怒った春嶽は、夜若州屋敷まで苦情をいいにくる。慶喜は会わなかったので、家臣に苦情をいった。

 内裏から近いのは自身の邸宅なのに、それを通りこして、わざわざ若州屋敷まで苦情をいいにくるのだ。春嶽の怒りのほどがわかる、なんて話もした。

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2010.11.04

池田屋事件ラストスパートなれど

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11月3日(祝・水)

 明治節。文化の日ともいう。

 実にめずらしく外勤のない日。家庭任務(介護)に従事しつつ、すきをみて池田屋事件ラストスパートにかかわる。あと少しなんだがなあ、なかなかとどめがさせない。

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2010.11.03

伏見城を描いた洛中洛外図の話ばっかりした

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11/2(火)はれ

 「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。天保の改革のおなはしをするつもりが、先日名古屋市博物館でみた、伏見城を描いた洛中洛外図の特徴や意義をひたすら話していて、それだけで終った。

 あ、おなじときに参加した結婚披露宴が、どれだけおもしろかったかも時間オーバーしているのに話した。

 天保の改革はまた次回。そのあと、ついに幕末です。ペリー来航です。

 次回は、11月9日(火)午前10時50分です。場所はいつものキャンパスプラザ京都です。

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2010.11.02

ゴールド免許をもらった

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11/1(月)あめ

 自動車免許証の更新に行った。五年間、なんにも違反をしなかったから初めてゴールド免許になった。映画をみない講習なんて初めてだった。あっというまに終わった。

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2010.11.01

伏見城を明確に描いた洛中洛外図をみにいく

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10月31日(日)あめ

 前日、近親の結婚式・披露宴。鎌倉と葉山で。台風直撃。大雨。こんな日は珍しい。披露宴に女優のK野Kとみさんがこられていて驚いた。

 横浜で宿泊。横浜中華街にちかいクラッシックなホテルだった。 マッカーサーも泊まったと聞いた。

 午後1時、出立。

 名古屋駅で途中下車。名古屋市博物館へ行くため。伏見城を大きく描いた初の洛中洛外図屏風が展示されている。どうしても見たくて無理をした。

 伏見城と城下町のいろいろを考える良い絵画と思うが、ミヤコの城壁も少なくとも二ヶ所に描かれていて驚いた。こんな洛中洛外図屏風は例がない。

 すげえと黙ってられなくなって、館内をあるいておられた同館学芸員O川さんをつかまえて、いろいろ感想をのべると、直接担当のT田さんが出て来られて、別室に招かれてO村さんも参加されて1時間ぐらい歓談。ぜいたくなことだった。いろいろお土産もいただいて、ありがとうございました。

 帰宅後、疲れがどっとでる。少しでも用事を進めようと努力。

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