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2010.10.30

書店での初サイン会決定

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中村武生、書店での初サイン会+講演会が行われます。

 よろしければおこしください。

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                       記

 京都新聞出版センター刊『中村武生とあるく洛中洛外』講演会&サイン会決定!!

 テーマ:京都千二百年の痕跡に迫る

 日時:2010年11月5日(金)午後1時~2時

 会場:ふたば書房京都タワー店・雅コーナー

 お問い合わせ:ふたば書房京都タワー店(電話075-353-6688)

 ※先着25名。整理券をお渡しいたします。詳しくは以下↓

http://booksfutabashopguide.blog103.fc2.com/blog-entry-1225.html

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2010.10.29

鎌倉にきた

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 近親の祝宴で鎌倉にきています。

 記憶によれば、5回目です。

 夜8時30分に鎌倉駅に着く。鶴岡八幡宮や若宮大路・段葛をみると心がさわぎます。義経・頼朝・政子が目に浮かぶようで。

 鎌倉青年団の石碑をいくつ見れるだろうか。

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龍馬の大政奉還の空間をあるいた

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10月28日(木)あめ

 京都新聞文化センターに出講。龍馬講座。

 龍馬の大政奉還の空間をあるく。

 三条京阪駅に集合し、まず酢屋中川嘉兵衛方(木屋町三条下ル一筋目西入ル北側)に向かう。京都市教育会が1928年に建てた「坂本龍馬寓居之趾」標石がある。

 この地に建つ解説板には、大政奉当時(慶応3年<1867>10月14日)の龍馬の居所であるという。龍馬は殺害直前の11月初旬、越前福井から帰京したのち、殺害現場となる近江屋新助方に移ったとある。

 この根拠は、岩崎英重(鏡川)「坂本と中岡の死」であろう(『坂本龍馬関係文書』2巻、 360頁、1926年)。典拠は「井口新之助談話」とある。井口新之助は近江屋新助の子である。

 ただこの成果には疑問がある。

 1917年(大正6)9月27日および28日、龍馬研究者だった川田瑞穂(雪山)が、龍馬存世当時の中川嘉兵衛の子、近江屋新助の子井口新之助、菊屋峯吉こと鹿野安兵衛の三者から聞き取りをした。

 これによれば、井口新之助は、近江屋に龍馬が入ったのは殺害の「前年ノ暮カ当年ノ春頃ヨリト思フ」とある(『坂本龍馬関係文書』1巻、449頁、1926年)。

 岩崎英重「坂本と中岡の死」は事実に反したことを記していることになる。

 当然のことながら、川田も、龍馬が近江屋に移ったのは「慶応三年春夏以後ノコトナリ」。「随(したがっ)テ大政返上当時ハ、近江屋ニ在リタルコト明白」と断じた(『坂本龍馬関係文書』1巻、 449~452頁、1926年)。

 この成果を、岩崎英重(鏡川)は川田瑞穂から書翰で受けて知っていたのである。書翰がちゃんと岩崎編の『関係文書』に載っているからである。

 井口新之助の談話のすべてが信用できないことは周知のことであるが、それはともかく岩崎はそれを根拠にしたのだから、殺害直前に近江屋へ移ったなんて話は出てくるはずがない。岩崎はどうしたことだろう。

 ちなみに今回の大河「龍馬伝」でも、あいかわらずこの説が使用されるらしい。殺害直前に近江屋新助方に移るらしい。大政奉還は酢屋嘉兵衛方で知るということか。

 そんなことを「坂本龍馬寓居之趾」標石の前で受講者に語った。

 なおそのあと我々は、後藤象二郎寓居とされる壺屋跡に移り、ほんとうにここが大政奉還当時の後藤の居所といえるか、何が根拠か論じた。

 だって岩崎鏡川『後藤象次郎』(1898年)には、後藤は二条城から「大仏の藩邸」に帰ったとあるもの。「大仏の藩邸」とは智積院のことである。さあ、どちらが正しいのでしょう。

 ついで土佐屋敷跡から近江屋跡へ移り、ふたたび壺屋跡付近を通って二条城へ向かった。後藤の登城を模してみるわけである。

 けっこうな距離があった(らしい)。ひとりの受講者は途中リタイヤ。ひとりはタクシーで単身二条城にこられた。

 城内二の丸大広間で、信用できる史料にもとづいて大政奉還シーンの復元を試みた。自動で流れる解説の誤りを正しておいた。いつまでこの虚構が、参観客を事実から遠ざけつづけるのだろう。

 その日、二の丸大広間には「大名」は来ていません(久住真也『幕末の将軍』246~248頁、講談社、2009年)。

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2010.10.25

【巡検】法輪寺・臨川寺へ行きます

 いつもの「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」のご案内です。

                      記

日時:2010年11月8日(月)午前9時~11時

行き先:法輪寺・臨川寺

集合地:阪急電車「嵐山駅」改札

案内:中村武生(歴史地理史学者)

参加費:ワンコイン(500円)

※雨天決行。予約不要。直接集合地におこしください。

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2010.10.23

宇治市小倉で感激した話

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10/22(金)はれ

 午前10時、宇治市小倉公民館に出講。龍馬の話をする。

 公民館館長と名刺交換して驚いた。宇治市の歴史研究や文化財保護にながく尽力されてこられた、吉水利明さんである。宇治市歴史資料館長でしたが、転任しておられたのですね。知らなかった。

 初めてお目にかかったが、過去に宇治市域に建つ三宅清治郎碑のことでお電話で対応いただいたことがある。三宅碑を現在知られるように啓発されたのは、東京都杉並区の主婦岩永蓮代(故人)である。

 岩永蓮代のその著書『文化財保護ありのまま』(六興出版、1988年)によって、僕も三宅碑を知った。出版直後のことである。そのあとがきの、お世話になった方一覧に、吉水利明さんは列挙されている。そのことも知っていた。

 三宅碑の拙稿もお読みいただいていた由。お気づかい戴いて龍馬のことをいろいろ聞いてくださったが、あえて話題を変えさせていただいて、三宅碑や岩永蓮代の思い出話を聞かせていただいた。藤原道長建立の浄妙寺跡の碑は、岩永蓮代の申し出で彼女が出資した由。初めて知った。本当に感激した。

 宇治市小倉といえば、玉露発祥の地として知られる。よいお茶をごちそうになったほか、土産もいただいた。聴き上手の聴衆にも恵まれ、夢心地で小倉地区を退した。

 奈良県天理市へ向かう。天理大学に出講。出席を取らない、来なくてよいといいまくったので欠席者多数。それでも来てくれる子がいる。

 今回は平城京羅城のはなしをした。身近な奈良県の話だったからか、静かにまじめに聴いてくれる。今日はいつもより後味がよかった。

 入浴介護があるので、帰途を急ぐ。

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2010.10.22

義仲と京都薬園と奇跡の同窓会

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10/21(木)くもり

 名古屋市の栄中日文化センターに出講。

 今回から講座新期。でもタイトルは「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」と変化なし。

 前者は「木曽義仲の洛中洛外戦争―法住寺合戦と宇治川合戦」、後者は「徳川政府の京都薬園(鷹峯)」。前者で50人ちかく、後者は20人の受講。ありがとうございます。無茶な話にお付き合いくださり。

 大急ぎで帰京し、木屋町六角の「龍馬」に行く。本日、同所で奇跡の同窓会・その3が行われた。参加者はF島T治さん、H嘉M香子さん、Y岡T晴さん、特別ゲスト側近K野O子さん。ふたりは遠いところからおこし。この4人がそろうことはめったにない。楽しくってしかたがなかった。

 「その4」もありそうな気がしてきた。

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2010.10.21

歴史地理とくずし字と講演と励ます会

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10/20(水)はれ

 午前8時50分、京都女子大学に出講。

 いつものコミュニケーションカード(先週のご意見・ご質問・ご感想)へのお返事をしたのち、本題に。

「京都女子大学周辺の歴史地理・幕末編」。板倉筑前介論・その2である。まだ巡検には行けない。次回はその3。

 昼から「くずし字入門」。まだ中山忠光暗殺事件を追っている。ようやく山田幸右衛門(幸八)は、忠光の死を追及している「奇兵隊士」は、石山権六のほか、宮田半四郎(小川佐吉)・細川左馬之助(池内蔵太)らと知ったようだ。

 石山権六が石田英蔵(石田英吉=伊吹周(終)吉)の変名だと知るのは、また次回。

 次回は彼らがついに忠光の墓参をする。10月29日(金)午前10時50分から。会場は同じです。

 NPO法人京都歴史地理同考会監事のKさんと歓談したのち、北上。午後3時30分から、京都ブライトンホテルで、京都労福協活動者会議の講演に行く。「京都のまちづくり~京の歴史から今日(いま)を知る」というお題。

 けっこう笑いがとれた。笑いがあってこその楽しく学べる講演会。

 今夜は入浴介護をしなくてよいので、急にM本さんを励ます会を行った。

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2010.10.20

難波宮とシーボルトと建碑と昼食と史料コピー

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2010年10月19日(火)

 昼からいつもの基礎からまなぶ!日本歴史に出講。

 いつもの時事ネタは、難波宮跡でみつかった、前期難波宮のものと思われる白壁の件(大阪市中央区)。産経新聞を使った。京都新聞には掲載がなかったから。

 本題は今回シーボルト事件。信じられている話と事実はだいぶ違うようだと、最近の研究を紹介。

 次回は10月26日(火)午前10:50からです。会場はいつもと同じです。

 午後2時から、NPO法人京都歴史地理同考会の理事会。会報創刊号と次の建碑の相談などをする。次回は京都市北区の予定です。

 終了後、遅い昼ご飯を、中京区木屋町蛸薬師のなじみ店Bで側近K野O子さんとする。

 さらにそのあと、B教大学へ史料(刊本)コピーに行く。こんな大事な史料を今日まで見てなかったなんて。刊行されてたなんて知らなかったよおと、ショックを受けて帰宅。でも知らずに単著刊行よりはまし。たいへんよかったのだ。

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2010.10.19

松尾山に登った

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10月18日(月)はれ

 午前10時、阪急「松尾」駅に集合。「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」に出講。今回は松尾大社。

 いつものように、『京都市の地名』(平凡社、1979年)を使って、松尾大社のかんたんな解説ののち、『都名所図会』の挿図と現在の景観を比較する。あちこち動き回る。

 知らなかったのだが、松尾社の神体山である松尾山に気楽に入山できることになっていた。以前は禁足地だったのに。

 そこで参加者をお誘いしたところ、登山に自信のある方は全員参加となった。千円と少々高額であったが、みなさんさすが。

 進んでみると、実際はとてもしんどい、「私、もう行かんときますわ」という方も若干おられたが、無事往復することができた。全員、神様のおわす巨大な磐座(いわくら)が拝めた(写真)。

 とてもよい気分で帰れた。

 次回は西芳寺(苔寺)です。特別参観します(写経代3,000円)。今回ばかりは予約制なので、普段来られる方だけで定員いっぱいになりました。一般募集はいたしません。

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2010.10.18

【巡検】滋賀県高島市に行きます

基礎からまなぶ!日本歴史、特別巡検のご案内

 近世後期、蝦夷地などの北方探検で知られた近藤重蔵の墓参をいたします。近藤重蔵は、息子富蔵の殺人事件に連座し、近江・大溝(現滋賀県高島市)に軟禁され、その地で亡くなりました。

 あわせて当地の大溝城と城下町跡を散策いたします。よろしければお越しください。

                           記

日時:2010年10月24日(日)午後1時~夕方

集合場所:JR京都駅烏丸中央改札(1階です) ※1時10分発の列車に乗ります。定刻に出発いたします。

参加費:ワンコイン(500円) ※交通費や拝観料は自弁ください

案内:中村武生(歴史地理史学者・京都女子大学非常勤講師)

※雨天決行。予約不要。直接集合場所におこしください

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2010.10.15

船中八策と大政奉還を論ずる

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10月14日(木)はれ

 京都新聞文化センターに出講。新期開始であるが、ひきつづき龍馬講座。

 今回は「大政奉還と『船中八策』」。「船中八策」は実在しないこと、大政奉還も龍馬の創作ではなく、大久保越中守忠寛の発案であること、二条城は「大政奉還の場所」ではないこと、などを原史料を読みながら論ずる。

 教科書として、桐野作人さん「船中八策と大政奉還」(『坂本龍馬伝』所収、別冊歴史読本、新人物往来社、2009年)を使わせていただいた。当該件の最新研究であり、実に簡潔にまとめられているので。

 そうそう。慶応3年(1867)10月13日、将軍慶喜の招請をうけて二条城に出発する直前の後藤象二郎にもたらされた、龍馬の書翰や後藤の返書なども朗読した。

 次回は巡検です。

 上記書翰をやりあった、龍馬と後藤の居所跡を行き来し、後藤の気分になって二条城にむかう。龍馬の気分になって、参内する慶喜を殺害するつもりで内裏に向かうのもいいかも。

 くわしくはこちら→http://www.kyoto-pd.co.jp/school/detail.php?nid=314

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2010.10.14

京都の龍馬史蹟にまた建碑なる

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2010年10月13日(水)はれ

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 午前8時50分、京都女子大学に出講。大学周辺の歴史地理を講じている。今回は忘れられた幕末志士として、板倉筑前介(淡海槐堂)を取り上げている。

 幕末、このかいわいに龍馬が住んでいたことはすでに周知のことと思うが(拙著『京都の江戸時代をあるく』、文理閣、2008年)、その始まりが板倉筑前介ら京都在住の町人志士のアプローチにあったとは、ほとんど理解されていない。

 ちなみに板倉筑前介は、亡くなる直前の龍馬に、「梅椿図」(のちの「血染めの掛け軸」)を与えた人として知られます。

 その第1回目。次回もつづきます。そのうち板倉邸跡に巡検します。

 そのあと、霊明神社参道(京都市東山区)で、「坂本龍馬・中岡慎太郎など幕末志士葬送の道」標石の除幕式に行く。銘文作成者として、挨拶もした。以下はその記事です↓。

http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/kyoto/101014/kyt1010140312003-n1.htm

 終了後、霊明神社神主村上繁樹さんが作成した、「龍馬・慎太郎の神葬祭」という紙芝居を披露される。

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 そのあと直会(なおらい=宴会)にも出席。NPO法人京都歴史地理同考会からは、河畑理事、郡監事、武富会員が参加。

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2010.10.12

【巡検】光格天皇、還幸の道をあるく

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 散策の秋、ステキな季節になりました。

 以下の巡検を行います。よろしければお越しください。

 タイトル「基礎からまなぶ日本歴史特別巡検―光格天皇、還幸の道をあるく

 光格天皇は、江戸後期の天皇です。孝明天皇の祖父です。この時期にさまざまな復古事業が行われました。それが幕末の朝廷勢力拡大の基礎になっています。

 復古事業の最たるものが、平安宮内裏の再現です。宝暦事件に連座し、ながく不遇だった公家裏松固禅の労作「大内裏図考証」を採用し、徳川政府(松平定信政権)の許可をえて実現しました。

 それが現在の「京都御所」の原型です。

 平安遷都1,000年を目前にしていたことも無視できません(寛政6年=1794)。

 きっかけは火災です。天明8年(1788)に内裏が罹災しました。その再建の際のことです。再建なったのは寛政2年(1790)です。

 その11月22日、避難先の洛東・聖護院から総勢約1,500名の盛大なパレードが行われました。

 今回はそのパレードの跡をあるきます。よろしければおこしください。

                       記

 日時:2010年10月16日(土)午後1時~

 集合場所:京阪電車「神宮丸太町」駅改札(午後1時)

 参加費:ワンコイン(500円)

 講師:中村武生(歴史地理史学者/京都女子大学非常勤講師)

 コース:聖護院⇒広道⇒三条通⇒堺町通⇒京都御苑(余裕があれば旧閑院宮邸、盧山寺(光格天皇の実父閑院宮典仁親王墓))

 ※雨天決行、予約不要(直接集合場所におこしください)

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2010.10.11

石碑除幕式「坂本龍馬・中岡慎太郎など幕末志士葬送の道」のご案内

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「坂本龍馬・中岡慎太郎など幕末志士葬送の道」石碑除幕式のご案内

「坂本龍馬・中岡慎太郎など幕末志士葬送の道」石碑除幕式を下記の通り開催いたします。

また霊明神社8世神主村上繁樹さんがつくられた紙芝居、「龍馬・慎太郎の神葬祭」もお披露目されます。

碑銘は中村武生が作成しました。どうぞお越しください。

                       記

日時:2010(平成22)庚寅10月13日()午前11時~

場所:霊明神社参道(京都市東山区清閑寺霊山町)

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主催:NPO法人京都龍馬会

当日の予定

11:00 除幕式

12:00 紙芝居「龍馬・慎太郎の神葬祭」上演

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武市半平太ゆかりの料亭と龍馬殺害を論ずる

10月7日(木)はれ

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 午前中、NHK文化センター京都「幕末を食べる」に出講。武市半平太の京都居所を使用しているという「金茶寮」が会場(中京区木屋町三条上ル東側)。

 お昼をいただきながら、京都の武市半平太の活動と、伝承の真偽を論じた。写真は遺構とされる茶室。南天の柱がそうなのだそうだ。

 夕方、河原町通三条下ルで、旧友のH嘉M香子さんとばったり。なじみの喫茶店「IンPルス」で話す。H海道にいる共通の友人、Y岡T晴氏に電話し、今度いつもどるかと尋ねる。仕事中にもかかわらず、電話に出てくれた。

 夜、ウイングス京都での、京都市政治・文化セミナーに出講。「龍馬殺害事件を実証する」を講ずる。参加者は100名は軽くこえていた。 

 薩摩黒幕説はありえない話をする。あと、刺客は「名刺」をもっていっていたか否かみたいな、ちまちました話もした。時間が全然足らなかった。すいません。

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2010.10.07

拙著刊行され、襟を正すこと

 10月5日(火)に拙著『中村武生とあるく洛中洛外』(京都新聞出版センター、1470円税込)が刊行された。

 書店には前日にすでに並んでいたという。知人から、さっさく購入したと連絡をうけた。ありがとうございます。

 当日、京都駅地下の書店に見に行った。たしかに平積みにしてあった。

 当日までに、版元から研究者などお世話になっている方々に寄贈させていただいた。その到着のご連絡が連日届く。メール、電話、はがき、封書、いろんな手段で届く。本や論文まで同封される方がある。感謝いたしております。

 どういう形であれ、反応くださるのはありがたい。届いたかどうかがわかるからである。みなさん一様にそれがすばやい。僕よりもっといそがしい方ばかりなのに。

 本や論文をいただいたらすばやく御礼を申し上げる、僕の先生たちから学んだことだった。意識しているもののなかなかうまくいかないこともある。

 今回、また襟を正す思いです。毎日。

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2010.10.05

誕生日、感謝

 今日満43歳になりました。

 お祝いいただいたみなさまに感謝申し上げます。

 ありがとうございます。

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2010.10.03

名古屋で藤吉のはなし。大阪では小松帯刀墓所碑が建った

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10月2日(土)はれ

 名古屋の栄中日文化センターに出講。龍馬講座。

 海援隊誕生のはなしをするはずが、最近の京都・大阪・滋賀県の建碑事情がながびきすぎてできなかった。前回の薩長同盟論のつづきもしたしね。また次回持ち越し。

 最近、ある事情で龍馬の家来藤吉の履歴を検討している。

 これまでほとんど典拠を明らかにして論じられたことはなかたようで、既出の略伝はほとんど誤っている。まだまだわれわれは、龍馬の周辺のことを何も知っていないのでは。

 中日ビルはさぞかし優勝バーゲンですさまじいことだろうと思っていたが、さほどでもなかった。

 あとから知ったのだが、この日、大阪市内では、小松帯刀墓所跡の建碑除幕式が行われた。今回は僕はノータッチである。今回も建碑者は、奥野聡子さんです。

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2010.10.02

中山忠光殺害をまた考えた

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10月1日(金)はれ

 午前中、いつものくずし字入門に出講。

 中山忠光殺害に関わる史料を読み続けている。天誅組参加者である石田英吉が忠光の死を知り、(殺害の手引きをさせられた)田耕村庄屋山田幸八に迫り、事実の追及をしている。実におもしろい。

 次回は10月8日(金)午前10時50分からです。場所は京都駅烏丸中央口前、キャンパスプラザ京都5階です(西へ徒歩4分)。参加費は500円です。 

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2010.10.01

また寺田屋脱出ルートをあるいた

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9月30日(木)あめのちくもり

 あめのなか、京都新聞文化センターの巡検。

 龍馬と三吉慎蔵の寺田屋脱出から伏見薩摩屋敷へ逃げ込むルートをあるく、である。もう何回しただろう、この案内。あとになるほど良くなる。次回はあるかなあ。

 龍馬らが途中逃げ込んだ、材木納屋跡はどこかを論じた。これも「河原屋五兵衛隠居所」と同じく活字にしておくべきと思っている。最終的には『幕末京都史蹟の研究』に結実か。

 途中で雨がやむ。ありがたい。

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