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2010.07.04

つぎの建碑を考え名古屋で龍馬と薩摩の関係をはなした

7月2日(金)少し雨

 父方祖父の37回忌。墓参にいけないのでその日を思い出してみる。

 午前中、いろんな事務処理をする。驚くほど進んだ。その分つかれた。

 いつものくずし字入門に出講。まだある幕末土佐志士の手紙を読んでいる。とても癖のある字。でも変に盛り上がっている。読み終えたら、まだ無いかと受講者が探してこられる。もう3通目。すごいわ。

 夕方、NPO法人理事メンバーと某所(京都市内)の建碑交渉にうかがう。今回2回目。もう副碑銘(案文)をつくった。これ午前中の仕事のひとつ。なんだすぐできるじゃないか。まだ建碑賛同はいただいていない。

 夜、なぜか法人メンバーで仏光寺烏丸で突然懇親会。

 会場に向かう途中、その交差点近くに小学校2年生の女児がながいこと一人でいるのにきづく。心配になり、いろいろい聞いたら、お稽古ごとの終わったあとの母親待ちで、しかし30分ぐらい待たされていることがわかった。

 母親が到着までそばにいとこうと思ったら、同じことを心配した大人がいたようで、警察官2人(男・女)がやってきた。だからお任せして、会場へ向かった。社会はまだまだ悪くない。親御さんの危機意識の低さはあいかわらず問題だが。

 懇親会はあいかわず楽しい。奥さんも誘ったが、それどころではないと内外の反対にあって不参加となった。

 帰りに少し木屋町六角の「龍馬」に寄る。最近忙しくてうかがえていない。実に久しぶり。幕末クイズが行われていて、ほとんど正解。知らないお客さんにちやほやされる。正解であたりまえ。まちがえたらかえって問題。

7月3日(土)あめ

 名古屋市に出張。午後から栄中日文化センターに出講。

 龍馬講座。今回は元治元年(1864)下半期、勝海舟・龍馬と薩摩の出会いのはなし。たまたま先週、大河ドラマ龍馬伝もそんな時期でしたね。

 最近確認された140通目の龍馬の書翰や、禁門の変で、薩摩の中原猶介が勝海舟の塾生を率いて長州兵と戦った可能性の高いことなど、桐野作人さんの成果を多く活用させていただいた。多謝。

 二次会では受講者F橋A子さんがみつけた、某公園の名古屋城「残念石」の話をうかがう。「尾張歴史の会」(尾張龍馬会でもいいが)を立ちあげてくださいと勧める。

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