吉村虎太郎の書翰を読んで平尾道雄の仕事を考える
7/9(金)あめのちくもり
ある予定があったが、延びた。明日か、あさってか、またそのうち。
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いつもの「くずし字入門」に出講。
ゆえあって、少し前から土佐出身の幕末志士、吉村虎太郎の書翰を読んでいる。大和天誅組の乱の組織者といってもよく、その戦争で亡くなった(文久3年(1863)9月27日)。
今年の大河ドラマではどなたがされるのか楽しみにしていたが、全く登場しなかった。名前だけ劇中で1~2回出たが。
吉村虎太郎はとてもくせの強い書体で、安易に読めない。それに挑戦しようというもの。
テキストは早稲田大学所蔵のものを利用した。ネットで公開されている。文久3年(1863)5月3日付の両親宛書翰である。
長文なので4回にわけて読むことにした。
メンバーTさんとお仲間が釈文を作ってくださり、それをテキストと比べながら読むのだが、実はこの史料、すでに釈文が存在する。
土佐史研究の泰斗、平尾道雄(1900-1979)が、吉村の唯一の伝記『天誅組烈士吉村虎太郎』を刊行している(大道書店、1941年。土佐史談会覆刻1988年)。
この170~172ページに同書翰の釈文が掲載されているのだ。
今回、それも横において読んだ。
釈文は以下。
①浜田周吉へ御託之
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②尊墨相達難有拝見仕候追々
③暑気ニ至候所皆々様倍御機
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④嫌能可被遊御座奉大賀候相随而
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⑤私儀無恙在京仕居申候乍恐左様
⑥思召可被仰付候扨去々六日檮原御出足
⑦同十一日高知御着之所御途中より
⑧御不例ニ被為在追々御差重りニ而
⑨大ニ御苦心被遊候御趣奉驚入候
⑩如何様追々御快方ニ御移之御趣
⑪此頃ハ御全快之御事与奉察賀候
⑫母上様ニも御出府被遊井口ニ於ゐて
⑬御家御求被遊去月三日之夜御引移り
⑭被遊候御趣然ルニ万事御不自由ニて
⑮御迷惑被遊候段実ニ何とも申上様
⑯無御座只々恐入居申是与申も当時
⑰勢故与御アキラメ被仰付何卒
⑱此上御養生被遊御病気無之
⑲様只管ニ奉祈候
⑳容堂様御帰国ニ就而は御国俗人共
21京都御静謐与唱候趣誠ニ愚カナル
22事ニ御座候此度
23容堂様御帰国之儀ハ屹度思召之
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24有之義追々相分り可申当時天下
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25之形勢実ニ累卵之如き事ニ而
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26姦物共ハ我利欲ニ迷ひ種々奸
(以下略す)
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※行頭の数字は中村武生が便宜上付しました。
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平尾道雄の釈文と比較したところ、以下の相違があった。
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①「へ」が「江」になっている。
⑤「在京仕居申候」の部分、「申」が抜けている。「左様」が「右様」になっている。
⑦「所」が「処(處)」になっている。
⑧ふたつの「ニ」が「に」になっている。「而」が「て」になっている。
⑨「驚」が「恐」になっている。
⑩「ニ」が「に」になっている。「御移之御趣」の部分、「御移之趣」になっていて「御」が抜けている
⑪「ハ」が「は」になっている。
⑬「夜御引移り」の部分、「り」が抜けている。
⑭「然ルニ」の部分、「ル」が抜けて、「ニ」が「に」になっている。「御不自由ニて」の部分も、「ニ」が「に」になっている。
⑮「ニ」が「に」になっている。「何とも」の部分、「何共」になっている。
⑯「只」が「唯」になっている。「恐入居申」と「是」の間に「候」が挿入されている(原文に「候」はない)。「申も」も「申すも」になっている。
⑰「アキラメ」が「あきらめ」になっている。
⑲「ニ」が「に」になっている。
⑳「容堂様」の上に、なぜか「一、」が付してある。「一、容堂様・・・」である。「ニ」が「に」になっている。「而」が「て」になっている。
21「ニ」が「に」になっている。「愚カナル」が「愚なる」になっている。
22「ニ」が「に」になっている。
23「ハ」が「は」になっている。
23~24 「思召之有之」の部分、「思召有之」になっている。
24 「義」が「儀」になっている。「相分り可申当時」の部分、「相分可申候。当時」になっている(「り」を省き、存在しない「候」を付している)。
25「ニ」が「に」になっている。「而」も「て」になっている。
26「ハ」が「は」になっている。「ニ」が「に」になっている。
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以上
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※ルビはすべて原文には無く、平尾が便宜上付したもの。
※「与」を「と」に改めた部分は好みの問題として指摘しなかった。
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えらい細かい指摘をしたなと思われていると思います(自分でもそう思います)。が、その意義があると思っています。平尾道雄の仕事は巨大で、現代にもさまざまな影響を与えています。
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とくに当時存在しながら、現在は入手困難な史料を使っておられる。原本との比較をしなくても平尾の引用は使用に足るのかが問題になります。
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亡命前の龍馬の動向を知れる「福岡家御用日記」は焼失し現存しない。いまわれわれは平尾のメモに頼っている。ところがそれに理解不明な部分があることを我々は知っている。これをどう考えるかである。
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今回の吉村書翰をみると、断りなくカタカナを平仮名に改めたり、送りがなを省いたりしているが、原則忠実に翻読していたことがわかった。誤読と思われる個所は、わずか3カ所に過ぎなかった。
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はっきりいえば、平尾は「福岡家御用日記」の一部、存在しない部分を捏造していないか、龍馬研究者は(僕もふくめて)気にしていると思う。
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今回の部分にはそういう姿勢は一切みられなかつた。
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今後も平尾道雄の仕事はていねいに検証すべきである。誤解のないようにいう。これは平尾を侮辱しているのではない。学術発展のための行為なのである。それほど大きな影響を与えている人として最大の敬意を表しているのである。ご理解ください。
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