長浜で龍馬と板倉筑前介を論ずる
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7月24日(火)
滋賀県長浜市、市立長浜城歴史博物館へ。
恩人太田浩司さん(同館参事)に招かれて、龍馬の話をしにいく。
が、こちらとしては、現長浜市下坂中町出身の京都の志士、板倉筑前介(淡海槐堂)を語らずにはいられない。
板倉筑前介は龍馬の殺害現場に残された、血染めの掛け軸の絵画「梅椿図」の作者として知られる。
淡海家蔵「淡海槐堂先生畧伝」によれば、龍馬遭難の直前まで近江屋にいて龍馬や中岡慎太郎と雑談をしていたという(西尾秋風氏『龍馬殉難ひろい話』28ページ、私家版、1997年)。
すなわち龍馬ゆかりの人として周知なのだが、それだけではない。七卿落の際には三条実美に経済支援したことや、池田屋事件の際、土佐出身の藤崎八郎を庇護したことなどが記されている。
これが信用できる同時代史料(いわゆる一次史料)によって裏付けられるか、ということを話題にした。
結論からいえば、裏付けられる。板倉の政治活動を知れる「一次史料」は意外と多いことを紹介した。
板倉の存在が、京都(洛東)における龍馬の居住地にまで影響していることを明らかにしたうえで、龍馬との縁は、知られている慶応3年(1867)より4~5年ほど早い、文久3年(1863)や元治元年(1864)にまでさかのぼる可能性を指摘した。
長浜からは中央政局に大きな影響を与えた人が出たのですよ、というのがこちらの主眼。
この話は、活字にしたいと思っている。幕末志士居所論にもかかわるし、幕末政治史と京都町人のかかわりの深さを明らかにできるかも知れない。
終了後は、拙著『京都の江戸時代をあるく』のサイン会。17冊売れた。お買い上げありがとうございました。
太田浩司さんに米原駅まで送っていただく。
太田さんは太田さんで、またこのあと講演の由。来年のNHK大河ドラマ「江(ごう)」の監修を小和田哲男さんとともに担当しておられる。おそるべき多忙ぶりである。
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