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2010.07.04

龍馬伝第27回をみた

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 龍馬伝第27回「龍馬の大芝居」をみた。

 ひさしぶり。池田屋事件以来である。

 述べる気にならないほどひどかったから。

 今回もひどかったですね。

 いうまでもなく、龍馬は武市半平太らを助けるため土佐に帰ったりしていません。してもいない吉田東洋殺害を後藤象二郎に語ったりしません。

 岡田以蔵は拷問にたえていません。とっくにぺらぺらいろんなことを語っています。土佐到着の即日(元治元年(1864)6月14日)、

「牢番らあと長州でどふやら、吉村虎太かどふやらなどゝ大声てはなし(話)をしよつた」(元治元年6月15日付、姉・妻宛半平太書翰、『武市瑞山関係文書』1巻481ページ)。

 これは序の口。拷問が始まるとつぎつぎと仲間の人名を出し、それによって逮捕者が増えていく。

 だから半平太らは困って、以蔵の毒殺を考えた。

 しかし半平太は必ずしも残酷ではない。

 獄外の仲間に、家族(父と弟)の許可をもらうように指示します。そのうえでの殺害を指示した。

「七児(以蔵)之事、親へ御申解之由、随分受けよきよし。只々此事而巳(のみ)祈申候」(『武市瑞山関係文書』1巻、597ページ。慶応元年(1865)3月6日夜から翌7日、島村寿太郎宛、半平太書翰)。

(※『武市瑞山関係文書』1巻の編者は、元治元年(1864)9月6日の書翰と推定しているが、横田達雄の指摘に従い慶応元年(1865)3月6日夜から翌7日とする。横田『「維新土佐勤王史」のウソ・マコト』42ページ、私家版、2000年)

 が、弟がのらりくらり逃げた。

「早速呼付ケ談候処、存之外異論ニてと角父にも相談、右之趣ニ付どふも受千事。悪く候。色々諭候得共とふも受悪く候。実ニ恥ヲしらぬには込り入申候。然れ共トニ角ニ此儀ハ祭主愈納得ならてハ悪星消滅ニハ至リかたくニ付色々申聞セ置候。」

「【意訳】さっそく(以蔵の弟を)呼びつけて話したところ、予想外なことで、とにかく父にも相談(しないとという)。こんな状態で、どうも反応が悪い。いろいろ諭したのだが、どうもいかん。実に恥を知らないというのには困ってしまった。しかしながら、この件は家族(祭主)がいよいよ納得しないと、毒殺(悪星消滅)は実施しにくく、いろいろ申し聞かせた。」(慶応元年(1865)3月上旬、森田金三郎宛・島村寿之助書翰、『武市瑞山関係文書』2巻111ページ)。

 ゆえに結局、毒殺は実施されなかった。

 ぜひ「このドラマはフィクションです。実在の人物とは無関係です」の表示をドラマのオープニングかエンディングかに掲示してください。お願いいたします。

 来週は獄中で龍馬と武市が会うそうですね。へー。

※「岡田以蔵毒殺問題」については、本文にもふれた横田達雄『「維新土佐勤王史」のウソ・マコト』、私家版、2000年)によった。

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