金地院に幕末の痕跡をみつけた
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6月24日(木)はれ
めずらしく晴れたような。
午前中、いつもの「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」に出講。
南禅寺の回。なのに塔頭金地院だけしか行けなかった。2時間全部金地院。そらそうだ。金地院大好きなのだ。
三宅安兵衛・安次郎父子の菩提寺だからね。三宅碑も2つ現存しているし。
境内に東照宮がある。世が世ならであるのに、本当にみなから関心がうせられている。哀愁をそそる。
今回、初めて気づいたものがあった。
周知のことなのだろうが、幕末の京都所司代桑名侯・松平定敬(さだあき)が寄進した燈篭があった。
感慨ぶかかった。「奉献上/東照宮神前」「桑名少将松平越中守源定敬」と刻まれている。元治2年(1865=慶応元年)4月17日銘である。
それで気づかれた。
元治2年(1865=慶応元年)は、元和2年(1616)に亡くなった徳川家康の250回忌にあたる。実は4月17日は家康の祥月命日にあたる。
だから前日の4月16日には、勅会が行われ(家康は贈正一位太政大臣)、日光東照宮に奉幣使などが参向している(『維新史料綱要』巻6、85ページ)。
それにあわせて、在京の子孫のひとりである所司代松平定敬が洛東東照宮に燈篭を寄進したというわけだ。
ほんとうはもっと存在したのではないのか。守護職会津侯松平容保だって同様のことをしそうだが。「会津中将松平肥後守源容保」銘の。想像してみた。
まだまだ見落とした幕末史蹟があるなあ。
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