龍馬伝展のレセプションに参加してきた
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午前中、いつもの「くずし字入門」に出講。
いつもの御土居堀関係文書と、ちょっとアレンジ、幕末志士の書翰を読んだ。みなさん苦闘。
午後から京都文化博物館に。
明日19日から「龍馬伝」展が開催される。本日レセプションが行われた。NPO法人京都龍馬会の赤尾博章理事長と妻りょうこさん(写真)に連れられて参加した。
展示品は逸品ぞろいだった。写真ではみたことがあるが、現物は初めてとか、いやいやまったく知らず、こんな史料(資料)あったのかぁなんてのもあった。勉強になりました。
ただ展示解説はいただけないものが少なくなかった。ケアレスミスはいいのだが(「お龍」に「おりゅう」とルビを打った場所があるとか)、最近の幕末史研究の成果がいかされていない点が多かった。
たとえば薩長同盟。慶応2年(1866)1月23付、木戸孝允が坂本龍馬に宛てた有名な書翰。これに長州側からの「盟約」内容六カ条が列記されている。
その全文の現代語訳が掲示されていたが、五か条目は以下だった。
「今までのように、一橋、会津、桑名が軍事力を背景に朝廷を擁し、正義を拒み続けるのであれば、ついには武力討幕に及ぶ以外にない。」(『龍馬伝』展図録87ページ)。
ここに「武力討幕」なる言葉がある。これは原文にはない。
原文は「兵士をも上国の上、橋・会・桑等も如只今次第にて、勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を拒み、周旋尽力の道を相遮り候ときは、終に及決戦候以外無之との事」である。
「ついに決戦に及び候以外にはこれ無き」とあるのであって、「武力討幕」とはない。
常識にはこれは一橋慶喜・会津侯松平容保・桑名侯松平定敬、すなわち京都の「一・会・桑権力」との軍事衝突であって、徳川政府そのものを対象にしているようには読めない。
このことはすでに周知のことで、たとえば家近良樹氏『孝明天皇と「一・会・桑」』138~140ページに特記されている(文春新書、2002年)。
近年、美濃中津川の市岡家文書の発見により、薩長同盟に対して徳川政府そのものも攻撃対象にしていた可能性を提起されているが(宮地正人氏「中津川国学者と薩長同盟」『街道の歴史と文化』5号、中山道歴史資料保存会、2003年)、
いずれにせよそれらの研究史を紹介されることなく、五か条目の「決戦」の語を、いきなり「武力討幕」と解釈するのは参観者への配慮が足りなすぎる。
もうひとつ。展示全体を通じて、龍馬殺害を「暗殺」と表記する点である。
明治初年の刑部省の口書によれば、見廻組の今井信郎は、上司から龍馬逮捕を命ぜられ、抵抗したら殺してもよいと言われた。実際現場で「手ニ余リ候ニ付、龍馬ハ討ち留メ」たと供述している。
いわば警察権の行使の過程で殺害されたのであって、それを「暗殺」とはいえないはずである。
もちろん今井の供述は虚偽で、当初から殺害する目的であったかも知れないが、もっとも信用できる当事者の供述であるから無視はできない。
ゆえに龍馬「暗殺」ではなく、龍馬「殺害」と記すべきであろう(青山忠正氏『明治維新史という冒険』234~240ページ、思文閣出版、2008年。初出は2005年)。少なくともその方が公平性を保てることは間違いない。
今回の展示・図録担当の方々がこれらの成果を認識されておられないとはいわない(それは失礼であろう)。
が、他館にもいえることだが、古代史や中世史などに比して、まだまだ幕末史研究の実情が博物館展示・解説に活かされることが少ないなあと、残念に思えた。
(学術成果の一般啓発に心を配っている立場からの見解です。関係者各位への失礼の段は深くおわびいたします)。
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