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2010.05.27

池田屋事件戦死者の旧墓所跡碑建つ

Photo  Dcf_0467

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 池田屋事件戦死者の菩提寺は、京都市左京区岩倉花園町の浄土宗三縁寺です。

 もとは同市東山区大和大路通三条下ル大黒町145番地にありました。

 1979年(昭和54)に移転しました。京阪電車三条駅の東隣地にあったので、京阪電鉄が要望したためです。

 その3年前の1976年(昭和51)5月18日、京阪三条駅整備ののちに、跡地に「維新史蹟池田屋事変三縁寺墓所跡」という石碑を建立するという契約が、当時の檀家総代大高秀夫氏(故人)の尽力で、三縁寺(代表委員勝田良昭氏)と京阪電車(代表取締役青木精太郎氏)との間に結ばれました(石田孝喜氏『幕末維新京都史跡事典』116ページ、新人物往来社、1983年、および同日付「覚書」)。

 それから30年以上たちました。すでに整備は終わっていましたが、建碑はなされませんでした。

 このまま放置すればついに建碑は実現しないのではないかと感じた中村武生が、三縁寺の毎年の祥忌法要(6月4日)の席で、同寺住職勝田良昭さんに、京阪電鉄との間に証拠となる建碑の取り決め状がないか尋ねました。すると存在することがわかりました。

 たまたま同席されていた、NPO法人京都龍馬会理事長赤尾博章さんが、京阪電鉄社長と知った仲であったため、連絡を取ってくださいました。

 当時の取り決め状があるならと、京阪電鉄社長は前向きになってくださり、中村の意をくんで下さった石田孝喜先生(前掲『幕末維新京都史跡事典』著者)からの勝田住職への働き掛けもあったおかげで、取り決め状が京阪電鉄に提示され、両者の話し合いがもたれた由でした。

 その結果、本日、ついに跡地の隣地に「池田屋事変殉難志士墓所跡」碑が建ちました。

 感慨無量です。20年以上この日を待っておりました。

 とくに除幕式はされないと聞いています。

 三条大橋東詰め南側を東に進み、最初の信号を右折(南行)すると、東側のレンタサイクル場入り口にあります。

 尽力下さった関係各位に深甚の謝意を表します。

  ※当碑の銘文は、中村武生の執筆ではありません。監修なども任されておりません。ただ事前に住職さんより、建碑地が実際の位置と異なると聞きましたので、そのことを明記してくださるとありがたいですとは述べました。

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